2011.11.30「国債の信用力を見る物差し」

 ユーロ圏における信用不安を背景に、国債の信用力が問われている。ギリシャの債務隠しに始まって、アイルランドやポルトガルの債務悪化が問題視され、それがスペイン、そしてイタリア、フランスなどの中核国に及んでいる。23日のドイツ国債の札割れにより、ドイツ国債そのものの信用力も問われつつある。

 しかし、その国債の信用力を計るものとして格付会社によるソブリン格付けに対して疑問も投げかけられている。少し古い記事になるがWSJの8月の記事によると、WSJが35年間のデータを分析したところ、米国の大手格付け会社がこれまでソブリン債(国債)のデフォルトをほとんど予想できなかったとしている。

 S&Pの格付け対象だったソブリン債のデフォルトは1975年以来15件あったが、同社はうち12件について、デフォルト1年前にシングルB以上の格付けを付与していたという。また、ムーディーズ・インベスターズ・サービスの格付けから1年以内にデフォルトした13政府のうち、11政府はB以上の格付けだったそうである。

 WSJにあったこれらのデフォルト事例の中に、いわゆる先進国の事例は含まれていないことから、格付会社独自のノウハウ蓄積の余地が乏しいとの指摘もある。企業格付の場合には、それぞれの格付会社には多くのデータが蓄積され、ある程度、格付とデフォルト率は整合的な関係が成り立っているとされるが、ソブリン債にもデフォルトの事例そのものが少ないとともに、国のデフォルトと企業のデフォルトでは大きな違いも存在している。

 企業や個人の借り入れには限度があるが、国の場合の借り入れは将来の徴税権が担保となる。しかも返済能力というよりも、どの程度の規模の債務を、どの程度の期間維持させることが可能なのかも重要であり、それを計る具体的な目安はない。たとえばユーロ圏での財政赤字のGDP比3%というのも、あくまでひとつの目安である。債務残高のGDP比も参考数値ながらグロスの債務残高が200%を超えてもいまのところ問題のない国もある。経常収支の黒字や赤字というのも、あくまで目安にすぎない。

 つまり国の信用度を測るための具体的な物差しは存在せず、そのためソブリン格付けであったり、財政赤字や債務残高のGDP比などが参考にされているに過ぎない。

 さらに国の信用度を見る上で、国債が市場でどの程度信認されているのかを計る目安も重要なものとなる。債券がデフォルトに陥るリスクに備える保証料を示すCDSスプレッドもこれを見るためのひとつ参考になる。通常5年物国債のCDSスプレッドが取引されているが、この場合のCDSスプレッドとは、その5年物国債の年間保証料といえるものである。

 ただしCDS市場そのものの規模は小さく、参加者も債券市場に比べて極めて限定的である。市場参加者にとって体感的にわかる相場の状況を数値化したのがCDSとも言える。これはマスコミなど市場関係者以外から見るのにはわかりやすい数値なのかもしれないが、市場参加者がこれを参考に債券相場を動かすようなことはないはずである。それでは本末逆転してしまう。国債市場の地合などを見て、ソブリンのCDSは動いているとも言えるためである。

 つまりは国債の市場からの信用度を測る目安はやはり市場でついた価格、つまりは利回りとなろう。ただしここが危険な水準かどうかを計る目処はない。ユーロ圏の7%というのも、あくまでアイルランド、ポルトガルなどが金融支援を求めた水準であったためで、7%が何かを意味したものではない。もしもそうであるのならば日本も1990年頃に長期金利が7%を超えており、その時点で金融支援を受けていたはずである。

 この長期金利の危険水域とは、その国の財政や経済状況とともに、これまでの長期金利の動きなどからある程度推測するほかない。イタリアの過去の長期金利の動きを見ると、その危険ゾーン、というか節目は7%ではなく実は6%であった可能性がある。

 同様に過去の日本の長期金利の推移を見ると2%という目安の数字が出てくる。現在1%近辺の長期金利からすれば、わずか1%の金利上昇で達してしまう水準である。しかし、これになかなか届かなかったのが、1999年以降の日本の長期金利なのである。もし、長期金利が市場からの信用力を計る物差しであるとするならば、日本の場合にはこの2%というのが大きな節目になっていることを再認識しておくべきかと思われる。




2011.11.29「日本国債、急落の要因」

 昨日の債券先物は大幅続落となり142円を割り込んでいる。23日のドイツの10年国債入札での札割れをきっかけに、日本の債券市場の地合は大きく変化してきている。債券先物の日足チャートを見ても、急激な調整が入ってきていることがわかる。

 今回の日本の債券相場の下落要因として、米国債や英国債、そして日本国債と同様にリスク回避のための安全資産として買われていたドイツ国債に異変が起きたことが挙げられる。入札における大幅な札割れがドイツの国債に対する需要が減少と捉えられ、その結果、ドイツ国債の利回りが上昇した。ユーロ圏での信用不安が盤石とみられていたドイツに及んだことで、ユーロ圏内の信用不安がさらに高まるとともに、資金の逃避先とされている国債への警戒感も出てきた。

 ドイツと同様に経常黒字国ではあるものの、イタリア以上に債務状態が悪化している日本に対して、多少なり警戒感が出てきたことで、日本国債にも売りが入った。これは10年債利回りで1%割れという超低利回りとなっていたことや、債券先物は8月から142円から143円でのかなり高い水準でのレンジ相場が続いていた反動によるとも言える。

 きっかけは何にしろ、このような調整売りが入ることは過去の値動きを見ても当然予想はできていたと思う。しかし、何をきっかけに動くのかは予測できなかった。そのきっかけが、たまたま今回のドイツ国債の札割れであったと言える。つまり、日本国債への信用そのものが後退した結果として、債券先物が売られたと判断するのはまだ早計であろう。

 ただし、市場は財政再建にむけた野田政権への動きは歓迎しているものの、消費税の引き上げについて民主党内で意見が分かれるなど、財政再建に向けた実現性には多少警戒感も出てきているのも事実である。年末も迫り来年度の国債発行計画なども意識され、積極的には買いづらいという環境にもあり、その分、売りが入りやすかった面もある。

 債券先物は8月上旬から続いていたレンジ相場の下限を割り込んだことにより、当面は下値を模索する展開になることが予想される。チャートを見る限り、いずれ債券先物での140円半ば、10年債利回りでみると1.1%台の後半あたりまで下落してくる可能性もありうる。これは今年の5月あたりから7月上旬にかけての相場の下限となっているところである。このあたりまでの下げがあったとしても、あくまで調整と見ておいたほうが良いと思われる。日銀の包括緩和政策は当面継続されることが予想され、10月の全国CPIのコア指数が前年同月比マイナス0.1%となるなどしており、長期金利が一方的に上昇することは考えづらいためである。

 日本の国債相場の下落は欧州の信用不安が渦巻く最中、市場参加者を含めてかなり神経質にさせることも確かである。水準訂正ではあるものの、そこに日本への信用不安が多少なり生じると下げのピッチを早めさせ、予想以上の下落となり、その価格下落によりさらに売りを誘発させるような事態が起きかねない。このあたりは、日本も財政再建に向けた努力を怠ってはいないことを内外に示す必要がある。財政再建に向けて消費増税すらできないと見なされれば、それが日本国債の利回りに直接反映される恐れもある。

 信用リスク・プレミアムと呼ばれるものがある。日本語でのプレミアムとは楽しいおまけのような印象があるが、この場合のプレミアムとは信用不安に伴い上乗せされる金利分である。それには方程式は存在しない。まさにマーケットの不安心理が反映されるものである。ギリシャの20%を超える利回り、イタリアの7%を超える利回りは日本国債には無縁と片付けられるものではない。いったん不安心理が高まってしまうと、その利回り上昇は急激なものとなることを今回のユーロ圏の国債が教えてくれている。そうさせないためにどうしたら良いのか。それはまず政治家が考えるべきものであろうが、その前に日本国債を間接的に保有している国民こそが真剣に考えなければならないものである。




2011.11.28「9月の米国債や日本国債の保有者の動き」

 米財務省が毎月発表している米国債国別保有残高(MAJOR FOREIGN HOLDERS OF TREASURY SECURITIES)によると、今年9月の中国の保有高は1兆1480億ドルで、引き続き最大の保有国となった。中国は8月に前月から365億ドルの大幅な減少となっていたが、9月にかけてはやや上積みとなった。8月の減少は米国債の格下げが影響したとみられるが、影響は一時的なものであったようである。

 増加額で目立ったのは20兆円以上8月から増加させていた日本そして英国であるが、それまで多くても30兆円程度の保有となっていたフランスの保有額が43.9兆円となっていた。推測するにフランスの銀行などが、保有するユーロ圏内の国債の一部を売却し、安全資産とみられる米国債の投資を増加させてきた可能性がある。これに対しドイツやイタリアについては、あまり米国債の保有額は8月から変化はなかった。また、8月に大きく米国債の保有額を増加させていたスイスも9月の保有額にあまり変化はなかった。

 9月は8月の中国のように残高を大きく減少させていた国は見当たらず、米国債には安全資産としての買いが淡々と入ってきているようである。

 それでは同じ9月の日本の国際収支統計から、今度は日本からの海外の債券への投資と、日本国債に対する海外からの投資を確認してみたい。

 財務省のサイトにある国際収支統計の資料から、主要国・地域ソブリン債への対外証券投資を確認すると、中長期債について米国への投資はネットで2兆1031億円の増加、英国へは3946億円増、ドイツに2390億円増となっているが、イタリアについては1386億円の減少となっている。

 これに対して対内証券投資を見てみると、中長期債を中国がネットで4655億円減少させたが、短期債は2199億円増加させた。そして英国は中長期債を5168億円増加させ、短期債は3兆7965億円もの増加となった。ヘッジファンドや中東、アジア諸国の資金が英国を通して安全資産としての日本の債券に向かっているようである。

 そしてフランスを見ると中長期債で917億円減、短期債は8634億円の減少となっている。このあたりフランスの金融機関などによる換金売りなどが入った可能性がありそうである。


2011.11.26「ドイツ国債下落による日本国債への影響」

 23日のドイツの10年債入札における札割れをきっかけに、ユーロ圏内の国債の中で最後の砦となっていたドイツ国債まで下落し、24日にドイツ10年債利回りは2.2%近辺に上昇した。

 ドイツ国債だけでなく、ドイツと同様に最上位格付けのフランスやフィンランド、オランダの国債も下落しており、欧州の信用不安が周辺国から中核国まで拡がりを見せた格好である。

 24日の日本の債券市場では朝方は買いが先行し143円06銭で寄り付いたものの、143円07銭を高値に下落基調となり、大引けは142円80銭となった。さらにこの日のイブニング・セッションでは142円46銭まで売られ、10年債利回りも0.995%と1%に接近した。25日に債券先物は142円13銭まで、10年債利回りは1%台に乗せ1.030%まで利回りが上昇した。

 格付会社S&Pのアナリストから、日本の財政健全化の取り組みについて、何も進まなければ、どんどん状態は悪くなるとの発言があり、日本国債の格下げも懸念された。またIMFが、日本の国債利回りが突然急上昇するリスクがあり、債務水準が維持不可能になる可能性があると指摘したことも影響した可能性がある。

 ただし、格付け会社による日本国債の格下げはこれまで相場にはほとんど影響を与えてこなかったことを考えれば、やや過剰反応したとも言える。また、IMFの報告書もあくまで可能性があることを指摘しただけで、そのような兆候があるわけではない。

 しかし、今回のドイツのように、札割れそのものは珍しいものではなにもかかわらず、これだけ反応したのは、不足額の大きさとともにドイツ国債が売られやすい地合になっていたためと思われる。

 ギリシャを発端としてアイルランド、ポルトガルからスペイン、イタリアに及んだユーロ圏の信用不安はフランスにも波及していた。ギリシャ、イタリア、そしてスペインで首相が変わるような事態となったが、債務問題解決に向けた糸口はつかみ切れていない。

 ユーロ共同債の発行やECBの機能強化についても、ドイツとフランスの考え方が異なり、なかなか決定打が見いだせない。しかし、いずれにしても中核をなすドイツがユーロを離脱するようなことがなければ、ユーロ共同債の発行などの対策を行うしかないとみられ、それは結果としてドイツの負担を大きくさせ財政そのものを圧迫させることになろう。

 このため、今回のドイツを含めた高格付け国の国債の下落については、まだ始まったばかりとの見方もできよう。特にドイツ国債の2.2%近辺はチャート上でもひとつの節目ともなっており、ここを大きく超えてくるようだと3%台にむけて上昇してくる可能性がある。

 このようにドイツ国債の下落が仮に続くようであれば、日本国債に対し安全資産として買いが継続するかどうかは不透明となる。安全資産として英国債や米国債などは買われても、日本国債に関してはやはりその巨額債務が大きな不安要素になりうる。

 野田政権は消費増税を国際公約とするなど財政再建を重視しているが、民主党内部から消費増税に反対する声が上がるなど、財政再建に向けた動きはあまりにゆっくりとしている。しかしその間、債務は膨れあがる一方である。

 今回のドイツのように何かしらのきっかけで相場が反転してくる可能性はある。欧州の信用不安が強まる中、市場が神経質になっているときなど通常は反応しないようなことに大きく反応してくる可能性もある。

 ただし、このまま日本国債が暴落するようなことは考えづらい。これまで堅調地合が長くつづいていただけに、あくまで一時的な調整局面とみてよいのではなかろうか。チャートを見ると債券先物は142円が大きな壁となる。もしここを下回るようなことになれば、オプションなども絡んで比較的大きな調整となる可能性はある。しかし、それで日本国債が危ないと結論づけるのは、早計であろう。




2011.11.25「ドイツ国債入札での札割れの影響」

 ドイツ政府が23日に実施した10年物国債の入札は、発行予定額の60億ユーロに対して、応札額は36億4400万ユーロにとどまり、札割れとなった。

 ドイツ国債の入札に参加できるのは一定の落札シェアという条件を満たし、入札への参加を希望する金融機関等でオークション・グループと呼ばれている。1990年にそれまでの全額引受シンジケート団による発行からシ団と入札の併用となり、1998年からは全額入札による発行となっている。

 ただし、ドイツでは入札予定に届かなかった金額分の国債は、いったん政府が保有し、それを7つある証券取引所で売却する場合にはドイツ連銀が、そして電子取引プラットフォームで売却する際にはドイツ国債会社(German Finance Agency)が行う格好となる。したがって流通市場で売却したのち国庫にお金が入る仕組みとなっているそうである。

 日本の10年国債で札割れが発生したのは2002年9月20日である。ちなみにこの日は拙著「日本国債は危なくない」の発売日でもあった。入札予定額の1兆3500億円に対して応募額が1兆1852億円と札割れとなり、足りない部分は国債引受シンジケート団でのシェア割となった。

 ここで注意すべきは、今回のドイツや2002年当時の日本の10年債入札では、発行予定額に足りない分はドイツ政府なりシ団なりが引き受ける格好となっていたため、未達という言葉は使われない。ただし、すでにシ団が廃止された日本において、同じ10年国債の入札で、もし予定発行額まで応札額が届かなければ、それは未達ということになる。

 ドイツのオークション・グループの制度では、応札義務として年間(歴年)の発行額に対して0.05%以上の落札シェアとなっており、日本や米国などに比べてハードルは低く、比較的札割れそのものは発生しやすい。このため、札割れそのものは珍しいものではないにしろ、今回足りなかった割合が39%とかなり高くなっていることが、市場では嫌気されたようである。

 金融機関などによる応札が低調だったのは、今回入札されたドイツ10年債の利率は2%と、10年債として過去最低水準だったことに加えて、ドイツが反対してきたユーロ共同債の導入が検討され、それはドイツの負担を大きくさせかねないとの懸念があったためかもしれない。この入札結果を受けてドイツ国債は売られ、さらに欧米株式市場の下落要因ともなった。市場がかなり神経質となっていた際に札割れとなってしまったことで、影響が大きかったようである。

 ユーロ圏の中では、唯一の安全資産として買われていたドイツ国債まで売られたことで、その衝撃は大きかった。果たして今回のドイツ国債の売りは一時的なのか、それともドイツ国債も下落基調となるのか。もしもドイツ国債まで下落基調となれば、ユーロ圏の債務問題はあらたな段階に移行してくる可能性がある。

参考資料 下記の50ページ

http://www.bundesbank.de/download/volkswirtschaft/monatsberichte/2007/200707mb_en.pdf


2011.11.24「ドイツの国債制度(拙著「国債の基本とカラクリがよーくわかる本」より)」

 東西ドイツ統一時に大量発行されたドイツの国債は、欧州金融市場における国債の指標的な地位を確立しています。EU諸国の国債の利回りはドイツの国債の利回りをベースにしたスプレッド(利回り格差)で表される場合が多く、このドイツ国債利回りは、ユーロ加盟国すべての国債の基準(ベンチマーク)としても利用されています。また、2008年9月のリーマン・ショックにより世界の金融市場が混乱した際に、ユーロ圏の債券市場ではドイツ国債に投資家の資金が集中したのは、その流動性や信用力の高さを示したものと言えます。

 ドイツにおける国債の発行根拠法は、連邦基本法及び予算基本法です。連邦予算における信用調達(国債、借入金)については連邦法で限度額の授権が必要となり、信用調達の額は、連邦予算の投資的支出の額を超えてはならないこと、が定められています。連邦政府は、上記限度額の範囲内で、国債の種類・年限等を自由に選択することができます。1993年から四半期毎の入札・発行予定を、また、1999年分から年間の入札・発行予定を公表しています。

 連邦大蔵省、連邦銀行及び連邦債務管理庁の3機関に分散していた国債管理事務はドイツ国債会社(German Finance Agency:GFA)に統合されました。これにより国債の入札や管理の仕事はドイツ国債会社に移され、国債の入札スケジュールや国債発行計画などはドイツ国債会社から発表されます。

 ドイツ国債の入札に参加できるのは一定の落札シェアという条件を満たし、入札への参加を希望する金融機関等で「オークション・グループ」と呼ばれています。1990年に、それまでの全額引受シンジケート団による発行からシ団と入札の併用となり、1998 年からは全額入札による発行となっています。

 ドイツの国債の種類には短期国債、中期国債、長期国債があります。このうちの短期国債としては1996年から短期割引国債(BuBills)の6か月物が定期発行されています。また、2009年から1年物、そして3か月物、9か月物を新規発行しています。

 中期国債としては期間2年物(Schatz)と5年物(Bobl)が発行されています。そして、10年物国債はブンズ(Bund)とも呼ばれ、発行量も多くドイツ国債の中心的や役割を担っています。また、5年物と10年物の物価連動国債も発行されています。

 また、ドイツでは2008年7月に個人向け国債の新商品を導入しています。これは銀行預金に近い商品(Tagesanleihe)で、オーバーナイト金利に連動し、預け入れ・引き出しを自由に行うことが出来ます。これにより2008年個人向けの国債発行額は前年の約2倍となりました。(財務省資料を参考)。

「国債の基本とカラクリがよーくわかる本」




2011.11.24「国債入札における未達と札割れの違い」

 ツイッターやFACEBOOKでや問い合わせがあったため、国債の「札割れ」と「未達」の違いについて簡単に説明します。今回のドイツのように応札額が発行予定額に届かなくても、残りをドイツ連銀が預かるような仕組みがあるような場合には、発行額に達しない「未達」とは言いません。

 日本の10年国債入札で初めて発行予定額に札が届かなかった際、つまり拙著の「日本国債が危なくない」の発売日でもあった2002年9月20日でも、当時はまだ引き受けシンジケート団が存在していたため、残りはシ団のシェア割となり、やはり「未達」ではなく「札割れ」と呼ばれました。

 ただし、今後もし日本の10年国債入札で今回のドイツのような事態が発生した際には、すでにシ団が廃止されているため「札割れ」でなく「未達」となります。FB(政府短期証券)ではこのような際に例外的に日銀による引受が可能ですが、10年国債などでは残りを日銀が引受けるような仕組みとはなっておりません。

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2011.11.23「債券先物のスピード重視は必要なのか」

 2011年11月21日から、東証の債券先物のシステムが大きく変更された。取引時間の変更以外に、使い勝手も変わったようである。

 寄り付きや引けでは、成り行き注文が出せなくなり、ザラ場中の指し値は付き値から20銭上下のみで、そこを抜けた注文はキャンセルされる。ザラ場の成り行き注文も付き値から上下20銭までとなり、残りはキャンセルとなる。

 そして、前場と後場の引けの最後の2分間はクロージング・オークションタイムと呼ばれ、約定しないで注文をためて、板寄せ処理のためのつき合わせを行う時間となる。つまり成り行きがなくなったため、完全合致とはいかなくなり、引け値と同値で指し値をしていたとしても約定されない可能性がある。

 実際に債券先物の端末を見たり操作したわけではないが、このシステムはスピードがだいぶアップされているようで、値動きが小さければ問題はないが、何か材料が出て大きく動いたら人間の目で対処できなくなる可能性がある。

 以前の債券先物のシステム変更の際も同様であったが、債券先物のシステムでスピードを重視する意味が果たしてあるのかどうか甚だ疑問である。コンピュータや通信システムの進歩により、注文や約定がすぐに反映されることは大事であろうが、値動きが目にも止まらぬ速さとなってしまっては、使い勝手はむしろ悪くなる。

 そもそも債券先物とは現物債のヘッジとして存在しているものである。その現物債の取引は投資家と業者が相対で取引を行っており、それは光の速度で行われているものでは決してない。そのヘッジツールだけが速度で一人歩きする意味が果たしてあるのであろうか。

 これについて、市場参加者の方から次のような声も出ている。ご本人の了解の元に掲載させていただく。

 「そもそも債券先物というのは現物国債売買のヘッジの為に存在している訳でありまして、その現物国債の売買というのは基本的に店頭売買市場であって、投資家と業者(あるいは業者同士)の間で人間が介在して人力売買をしているというのが通常の姿であり、そういう人たち的には別に高速回転売買取引などをする必要性は乏しいのであります。」

 つまり世界標準ということで高速回転売買に便利な取引システムに変更するというのは、日本で債券を売買している投資家や業者を念頭に置いているというよりも、海外ヘッジファンドなどを意識したものと言える。確かに債券先物の売買における外国人のシェアは高いが、彼らは日本国債そのものはほとんど保有していないのが実情である(日本国債の海外保有率は全体の5%程度)。

 そしてスピードを意識したことの裏返しで、上下20銭以上の成り行きや指し値注文をキャンセルするシステムとなったようだが、問題は1998年の運用部ショックのような事態が発生したときである。今回のシステム変更により見せ玉と呼ばれるような離れたところに、大口の売買を晒すようなことはできなくなるが、大きく値段が動いたような際の対処が難しくなるのではなかろうか。

 欧州の信用不安が発生してからは、日本国債は安全資産として買いが入り、相場の値動きが最も大きくなる売り相場、つまり急落というケースは希となっている。昨年の小沢ショックの売りもそれほど大きなものではなかった。しかし、ブラックスワンではないが今後、いまは安全資産とみなされている日本の国債市場が何かのきっかけで急落することは十分にありうる。

 相場の世界は突然、変化が生じることがある。そして債券相場の変動の兆候はいち早く債券先物に現れる。しかし、肝心の債券先物で国内投資家などのヘッジそのものが困難となってしまっては意味はない。海外投資家が利益を得るために債券先物が存在しているわけではないはずである。




2011.11.22「年金債(仮称)の発行とは」

 11月21日付けの日経新聞によると、政府・民主党は将来の消費税収を返済資金とする年金債(仮称)を発行する方向で調整に入ったそうである。

 基礎年金については2004年の年金制度改革で、2009年度までに国庫負担割合を三分の一から二分の一に引き上げると定めた。少子高齢化や保険料の納付率の低下に伴い国庫の負担割合を増加させたわけであるが、それにより年間2.5兆円程度の財源が必要となる。

 2011年度末までに消費増税を法律で決め、2012年度以降分を増税で賄うとの方針となっていた、そのため2009から2011年度の3年間は特別会計の積立金などの埋蔵金で財源をやりくりしていた。

 ただし、今年度分については東日本大震災からの復興のために、今年度第1次補正予算の財源として独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構の利益剰余金などから捻出した2.5兆円を流用した結果、それは復興債で補填することとなった。

 しかし、2012年度については埋蔵金などでの捻出は難しいとして、基礎年金の財源調達に目的を限った国債、通常の赤字国債などとは区別した新たな国債を発行することを検討しているようである。この年金債(仮称)は復興債と同様に償還財源を明確にした国債となる。

 ちなみに復興債の償還財源は所得税、法人税、個人住民税などによる臨時増税となる。償還期間は当初の15年から25年に延長され、復興増税法案は来月初めまでには成立する見込みとなっている。

 年金債(仮称)の発行は将来の消費増税を確実にし、財政再建路線をより明確化することが大きな目的とみられる。ただし、消費増税については準備法案そのものも来年3月末までに国会に提出する予定となっており、実際に消費増税が可能なのかどうかは不透明である。

 野田首相は今月初めのG20首脳会議で「2010年代半ばまでに消費税率を段階的に10%までに引き上げる」と発言し、これを事実上の国際公約とした。しかし、現在の日本の長期金利は低位安定しており、その分、危機感も薄く、また過去の選挙結果によりで消費増税はタブー視されるなど、民主党議員の中にも増税反対派も多くいる。

 その中にあって復興債や年金債(仮称)の発行は、財政再建路線を強固なものにするためのひとつの手段であろうが、そのために必要なのは今後こそ消費税を引き上げなければならないことを国民にも納得させることであろう。

 消費増税はこれまで何度も先送りされてきたが、それで補うはずの社会保障費が伸び続けた結果、国の財政は年々悪化してきている。これを食い止めないと、いずれ欧州の信用不安が日本に伝播してくる可能性は十分にありうるのである。




2011.11.21「牛熊ゼミナール金融の歴史第37回 BISの設立と金本位制の中断・復帰」

 第一次大戦後のドイツの賠償金支払いを統括する機関として、中央銀行をメンバーとして設立されたのが国際決済銀行(BIS)です。本部はスイスのバーゼルに置かれました。BISの業務には、賠償金の支払いの振替に加え、国際債務の決済も含まれました。

 第二次大戦後は「中央銀行の中央銀行」として、中央銀行間の国際協力の要として活動しています。中央銀行のための銀行として預金の受け入れ、為替の売買を行っているほか、国際金融問題について各国の中央銀行が討論する機関ともなっています。

 第一次世界大戦により、各国政府とも戦争によって増大した対外支払のために金貨の政府への集中が必要となり、金の輸出を禁止し通貨の金兌換を停止せざるをえなくなり、その結果、金本位制を中断し一時的に管理通貨制度に移行しました。

 世界最大の為替決済市場であったロンドンのシティが一時活動を停止し、各国間での為替手形の輸送が途絶したことなどが影響しました。1919年にアメリカ合衆国が復帰したのを皮切りに、再び各国が金本位制に復帰し、1925年にイギリスも戦前の交換比率で金本位制に復帰しました。


2011.11.21「国債の信用は何によって裏打ちされているのか」

 ユーロ圏諸国の信用問題が再び深刻化してきており、イタリアやフランスの国債が売られている。この欧州の信用問題はギリシャが発端となり、イタリアなどに波及したわけであるが、そもそも国債の制度は歴史上どのように形成されてきたのかご存じであろうか。実は国債は現在債務問題で揺れているイタリアが発祥の地とされているのである。

 12世紀に入り、ベネチア、ジェノバなど北イタリア諸都市は、レヴァント貿易と呼ばれる東地中海の沿岸諸地域との貿易により国際的な商工業都市を形成した。ベネチアでは、政府が交易で富を蓄積した商人たちから資金調達をするようになった。その手段のひとつが十字軍遠征などの戦費調達のため市民からの強制借入であり、そのかわり市政府が利子を払うという貸付債券という仕組みが生まれた。この貸付債券は市場で価格が形成されるなど投資対象としての信用度も高かった

 また、ジェノバでは議会が元利返済のため税収を他の歳入から分離しシンジケート団に預け、その徴税権を担保に出資債券を発行して国に融資するという手段を講じた。このようにベネチア、ジェノバなど北イタリア諸都市において、本格的な政府による債務の調達が開始されたのが国債の起源とされる。

 その後、16世紀に現在のオランダで国債の発行制度が形成された。ハプスブルグ家のカール五世はフランスとの戦争のために巨額の資金が必要となり、領地であったネーデルランド連邦ホラント州の議会に元利金の返済のための税収を与え、その議会への信用を元にして国債の発行制度を確立したのである。

 国王や皇帝に直接、お金を融資するにはリスクが伴う。借金を踏み倒される恐れや、国王には寿命もあるため債務が引き継がれるのかどうかもわからないためである。その点、議会ならば永久機関であり、国王などよりも信用が高くなっていたのである。

 つまり国債とは徴税権を担保に、議会の信用力を背景に発行されるものであり、この形式は現在の国債制度の基になっている。いくら政権交代が起きようとも議会という組織が続く限り、その信用力により国債は発行が可能となる。つまり首相や大統領などの政権担当者の信用力に基づくものでは本来ない。しかし、今回のユーロ圏のソブリン危機と呼ばれるものは、政権についていたものの信用力に対して疑問視されてのものであり、極論ではあるが、議会への信認がある限り国債の信用力そのものにはそれほど影響はないもののはずである。

 しかし、その議会においてもイタリア、ギリシャともに与野党が伯仲するなど財政再建の取り組みが難しい状況にあり、議会への信認も低下したため国債が売られているともいえる。さらにその議会に議員を送り出している国民が、財政再建にともなう痛みを意識していることで、財政再建に遅れが生じ、それが国債の信任を低下させてきたといえる。

 つまり国債という制度は国王という個人の信用はあまりにリスクが大きいことで、それを議会、つまりそこにいる議員は国民に選ばれているわけであることで、国民そのものの信用力に基づいて発行されている。担保がそもそも徴税権であるわけであるため、将来の国民への信任に基づいて発行されているとも言える。何てことはない。国債とは結局、国民の信用力を背景に発行されているものである。

 つまりギリシャにしろイタリアにしろ、信用を回復させるためには欧州連合やIMF、さらにECBの支援によるものではなく、国民自ら自国の国債への信認を取り戻すための努力が必要になる。IMFやECBの支援はあくまで、ショックを一時的に和らげることしかできないものである。ただし、ユーロというやや中途半端なシステムのため、ギリシャ国債の信認にはドイツやフランスの国民も関与せざるを得ない面もある。このあたりが通貨は統一しても、財政は別々で国債もそれぞれ発行しているという国の連合体のある意味弱点ともなっている。だからこそギリシャ、イタリアの問題がフランスなどにも波及しているのである。もちろんそこには域内の金融機関が保有している国債による影響などもあろう。

 このあたりの問題を解きほぐしていかなければ、ユーロ圏の信用問題の解決は難しいものとなる。ギリシャもイタリアも自国内の国民が自らの信認により発行されている国債への信用力を高めないことには、問題は解決しないことを自覚すべきであろう。




2011.11.19「国債の損失額と7%という分岐点の意味」

 日銀が10月に公表した「金融システムレポート」によると、昨年度末の銀行資産に占める日本国債の保有割合は、大手行で22%、地域銀行で12%に達しており、債券利回りの上昇が経営に与えるリスクは拡大し、もし1%金利が上昇した場合の保有債券のリスク量は、2011年6月末で大手行、地域銀行ともに2兆円超の水準に達するとしている。

 それでは、国債価格が急落したとして、利回りの上昇額に対してどの程度、価格が下落するのかを単純計算してみたい。利付債の利回りから単価求める算出式は以下のようになっている(単利)

単価=(額面+利率×残存年数)/(額面+利回り×残存年数 )×100

 ここで利率1.0%、残存期間10年の長期国債があるとする。この利回り水準が1.0%のときの価格は上記の式で求めると100円となる。それではもし1年後(残存9年)に利回りが2.0%に上昇したとして上記の式に数字をあてはめて計算すると、価格は92.37円となる。同様に欧州の債務危機の際に長期金利の分岐点とされた利回り7%に1年後に上昇すると価格は66.87円となる。さらにギリシャの10年国債のように利回りが1年後25%に上昇すると価格は33.53円となる。

 アイルランドやポルトガルが金融支援を余儀なくされた水準であるところの長期金利7%という分岐点を突破した際には、欧州最大の独立系中央清算機関であるLCHクリアネットが証拠金を引き上げたことがひとつのきっかけとなった。LCHクリアネットの証拠金引き上げは、ベンチマークとなるAAA格の国債利回りとのスプレッドが一定程度開いたときに行われているようで、その水準が7%近いものとなっているようである。

 7%という水準が注目されるのは、上記の計算のように国債価格の下落が意識されるとともにLCHクリアネットの証拠金引き上げにより、国債を保有する金融機関が追加購入をしづらい状況に追い込まれた結果、買い手そのものがいなくなり、このため長期金利7%を超えた国は資金調達が困難となり、金融支援を仰がざるを得ない状況に陥る水準であったためと思われる。

 ユーロ圏の金融機関はリーマン・ショック後、安全資産として国債購入を増加させてきた。しかし、ギリシャ・ショックによるそれが裏目に出てきてしまった。日本や米国などでは自国の国債から他国の国債に乗り換えるには為替リスクが発生するが、ユーロ圏では通貨が統一されているため、為替リスクなしに域内の国債が購入できる。

 つまりギリシャが危ない、ポルトガルやイタリアが危ないとみれば、より安全な域内の国債に為替リスクなしで乗り換えられる。このため信用不安の広がりで、ドイツ連邦債と他のユーロ圏の国債の利回り格差が拡大している面もあろう。

 また、金融機関による国債売却がさらに利回り上昇を促し、その結果、新規の購入を手控えざるを得なくなるとともに保有する国債の損失額が膨らみ、資産圧縮に迫られて国債売却を行う必要も出てくるなど、まさに買い手がいなくなり、売り手が目立つ水準の目安として7%が意識されている可能性がある。しかし、7%という水準は絶対的なものではなく、あくまでひとつの目安に過ぎないことも確かであろう。




2011.11.18「21日より債券先物の取引時間が変更に、本日のイブニングは臨時停止」

 11月21日から東証では、先物取引及びオプション取引を取り扱う「次期Tdex+システム」並びに株式及びCB等のToSTNeT取引を取り扱う「第3次ToSTNeTシステム」を本番稼働させる。これに併せて、現物市場及び派生商品市場における昼休みの短縮並びに派生商品市場におけるイブニングセッションの延長等の取引時間の一部見直しが行なわれるのである。

 現在の国債先物(以下、債券先物)の取引時間は、前場が9時から11時、後場が12時30分から15時までとなっているが、11月21日からは前場が8時45分から11時2分、そして後場は12時30分から15時2分までとなる。

 業者間での国債を主体とした売買を行なっている日本相互証券(BB)は、午前中が8時40分から11時5分、午後は12時25分から17時となっており、現物債の売買が集中するBBの取引時間を意識した時間延長といえる。

 また、午後15時30分から開始している夜間取引(イブニングセッション)についても、これまでの18時の終了時間を11月21日からは23時30分まで延長される。こちらは、欧州時間での売買を意識したものといえる。

 このTdex+システムへの移行のため、18日の国債証券先物・オプション取引及び指数先物・オプション取引のイブニング・セッションの取引は臨時停止となる。




2011.11.18「危機的様相強める欧州事情」

 ユーロ圏の債券市場では、イタリアの10年債利回りが再び警戒ゾーンの7%台に乗せたばかりか、フランスとドイツの10年債の利回り格差が過去最高水準に拡大した。さらにスペインの10年債利回りも危険水域の7%に接近した。ユーロ圏の信用不安はスペインそしてフランスなどにも及んでいる。

 イタリアではモンティ新内閣が発足した。モンティ新首相は財務相と経済相を兼任し、16人の新閣僚は学者や官僚、大手金融機関のトップなどで政治家は含まれない。ヨーロッパ委員会の委員を10年間務めたモンティ新首相の手腕に期待したいところではあるが、政権運営に与野党の支持を得られるかどうかは不透明である。実際に与野党議員を内閣に含めることを検討したものの、各党との協議で合意できなかったと伝えられている。このあたりへの不安もあり、イタリアの長期金利が再び上昇してきたものと思われる。

 ギリシャでは、パパデモス首相が議会で信任された。ユーロ圏でのソブリン危機の発端がギリシャであるだけに、ギリシャの信用回復が最優先課題となるが、第2次ギリシャ支援受け入れを確実にするために国会の承認を取り付けることがまず重要な仕事となる。そのためには国民に対して痛みを伴う緊縮策への理解を求めなければならないが、これが大きな課題となりそうである。

 このようにギリシャ、イタリアともに首相が代わり、新たな政権で財政再建による信用回復に取り組むことが必要ながら、両国ともに政党との距離があることや、国民の理解をどれだけ得られるのかが不透明であり、懸念は残る。

 日銀の白川総裁は会見で、最大のリスク要因は欧州ソブリン問題の今後の展開だと発言し、米国のオバマ大統領も、欧州がソブリン債問題の解決に向けた具体的策を打ち出さなければ市場の混乱は継続と発言、さらに日本を訪問中のカナダのフレアティ財務相も、欧州のソブリン債務問題に対し具体的な行動が必要と発言するなど、欧州のソブリン問題は日米の経済にも大きな影響を与えかねず、あらためて国債問題ならぬ国際問題となってきている。

 ドイツのメルケル独首相は、ECBがユーロ危機を解決することは不可能とした上で、市場の信認を得るには、合意した改革の実施や条約改正に伴うユーロの強化刷新以外に道はないとの発言があった。また、メルケル首相は欧州のみならず、世界各国が自国財政を健全化することが必要とも述べたそうである。

 ECBによるユーロ圏の国債買入についてはECBのゴンサレス・パラモ専務理事やドイツ連銀のバイトマン総裁の発言にもあったように、ECBはあくまでユーロ圏の銀行に対する最後の貸し手であって、ユーロ圏の政府に対する最後の貸し手ではない。

 ポルトガルのカバコシルバ大統領は、ECBが最後の貸し手になることを可能にしなければならないとして、ECBが無制限に国債を買入すべきと発言があった。しかし、ECBはカバコシルバ大統領の言うような防火壁とはならず、あくまで消化器程度の役割にとどめておかないと、ユーロ圏の信用問題がさらに深刻化する懸念すらありうる。

 欧州のソブリン問題の根本的な要因は信用にある。ギリシャがそれを裏切り、信用不安が債務残高の大きな国に次々に飛び火し、イタリアさらにスペインやフランスにも及ぼうとしている。ソブリンの信用の根幹を成しているのは国民の意識である。財政の持続可能性に対して国民の理解が得られれば、信用そのものは回復しよう。そのためにはある程度の国民の痛みは避けられない。しかし、財政再建による信用の回復により、経済に良い影響が出てくれば、財政への懸念は後退しよう。このあたりの理解が求められるのか、特にギリシャやイタリアの動向がやはり大きな焦点となりそうである。


2011.11.17「牛熊ゼミナール金融の歴史第36回 第一次世界大戦におけるイギリスの資金調達 」

 1914年7月に第一次世界大戦が勃発し、ヨーロッパ大陸諸国の証券取引所やニューヨークの証券取引所が大混乱に陥りました。当時の世界金融の中心地であったロンドンのシティの証券取引所の取引が停止され、為替市場も停止したのです。 この危機に際し、イングランド銀行は公定歩合の引き上げと流動性供給策を行いました。銀行法(ピール条令)も停止され、イングランド銀行に法定限度を超える発券を認め、さらに1ポンドと10シリングのカレンシー・ノートと呼ばれる政府紙幣も発行されたのです。この政府紙幣は戦局が長引くにつれ増発され、物価上昇に要因となるとともに、イギリスにおける金本位制復帰の大きな障害になることになります。大戦中は流通現金ばかりでなく銀行預金も急増しました。

 資金調達のために国債も大量に発行されました。第一次世界大戦に際しイギリスで発行された国債の多くが5%クーポンであったことで、第一次世界大戦が「5%の戦争」と呼ばれたのに対し、第二次世界大戦では主に3%クーポンの国債が発行されたことで、「3%の戦争」と呼ばれました。(富田俊基著「国債の歴史」より)。

 1914年に3.5億ポンドの第一回軍事公債(1928年3月償還)が発行されたのですが、これは償還期限が決められていました。それまで発行されていたイギリス国債の中心は償還期限のないコンソル債であったことで、これ以降はイギリスにおける国債発行の発行形態が大きく変化しました。1915年3月には満期5年の国庫債券が発行されました。

 しかし、国庫債券の発行は次第に低調となったことで、その後国債の発行は短期国債や小口の国民軍事債券の発行が主体になりました。また、イギリス政府は外貨建て国債を初めて発行し、アメリカではドル建ての英仏共同国債がJPモルガンを財務代理人として発行されたのです。また、円建てのイギリス国債(期間3年)が1916年12月に発行されました。アメリカの参戦後は、イギリスはアメリカ政府から直接借り入れを行いました。アメリカは大戦を通じ債務国から世界最大の債権国に転換したのです。




2011.11.17「米財政赤字削減案めぐる攻防再び」

 米国では11月23日に財政赤字削減策の合意期限を迎える。これは超党派による財政赤字削減のための合同特別委員会(Joint Select Committee on Deficit Reduction)が、今後10年間で最低で1兆5千億ドルの赤字削減の勧告案とその法案を11月23日までに作成しなければならないのである。この特別委員会は民主党・共和党6名ずつの12名の両院議員で構成されている。

 この委員会の削減案に対して、連邦議会は2011年12月23日までに採決される。勧告案に対しての修正は認められない。勧告案を実現するための財政赤字削減法は、2012年1月15日までに成立させなくてはならない。もし、成立しない場合や財政赤字の削減額が1兆2千億ドルを下回った場合は、トリガー条項が発動され、予算の一律削減が実施されることになっている。

 しかし、与党民主党は増税と歳出削減を主張しているのに対し、野党共和党は社会保障改革など主に歳出削減を訴えており増税に消極的である。このため、民主・共和党間の溝が埋まっていない。厳しい増税案を盛り込むかどうかの決定については、来年に先送りする方針として、何らかのかたちで合意に持ち込むとの観測も出ているが、期限まで1週間となってもいまだ先行きは不透明な状況にある。

 8月2日が期限となる債務上限引き上げと財政赤字削減に関する協議でオバマ米大統領と議会指導部は合意に至らず、米国の大手民間の格付会社スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は、8月6日に米国の長期格付けを最上位のAAAからAA+に1段階引き下げた。S&P関係者は、米国の格付けが今後6か月から2年の間にさらに引き下げられる可能性は3分の1とテレビ番組で述べていた。

 今回もこのような格下げの懸念も出ているが、8月のS&Pによる米国債の格下げの影響が限定的であったこともあり、たとえ2度目の格下げがあったとしてもやはり影響は限定的であると予想される。つまり日本国債の格下げの時と同様に、国債消化に支障を来すような状況にない上、ユーロ圏諸国のような信用不安が生じているわけでもなく、格下げにより、慌てて米国債を売る投資家は限定的であるためである。

 ただし、あまりこのように交渉がもつれていると現在イタリアなど欧州で起きているような信用不安が米国でも生じかねない。いまはなるべく市場には隙を与えないほうが懸命であると思われる。これは他人事ではなく日本でも同様であろう。


2011.11.16「牛熊ゼミナール金融の歴史第35回 J・P・モルガンと米国中銀の設立」

 ジョン・ピアモント・モルガン(J・P・モルガン)は、J・P・モルガン個人銀行の最高責任者であり、1890年代以降はニューヨーク・ファースト・ナショナル銀行の中心人物であり、さらにまた1907年以降はナショナル・シティ銀行の主要株主でした。これらを拠り所としてアンドリュー・カーネギーほか米国内の鉄鋼会社を買収し、USスチール社を設立し、この結果、世界初の時価総額10億ドル企業が誕生しました。

 1895年にアメリカの金準備が大きく落ち込み、これ対して銀行シンジケート団を動かしてアメリカからの金流出を阻止したのもJ・P・モルガンです。また、銅に対する大規模な投機の失敗が銀行取り付けを誘発し、それによって迎えた1907年の金融危機に際してもきわめて重要な働きをしています。この危機に際してJ・P・モルガンが出した提案が1913年の連邦準備制度設立のきっかけのひとつとなりました。

 米国は連邦制を採用し、さらに東部と西部、北部と南部といった地域的な対立などがあったことで、中央銀行の設立には大きな抵抗があったのです。しかし、19世紀から20世紀にかけて幾度も恐慌が発生し、銀行の倒産や企業の倒産などにより深刻な不況が生じました。このため「金融システムの安定化」が求められ、中央銀行の設立の機運が高まったのです。

 1913年に12の地区連邦準備銀行と、これを監督する連邦準備委員会がワシントンに設立されました。中央銀行の設立には引き続き反対意見も多かったことから、全米の12地区に地区連邦準備銀行を設立し、それぞれの地区で銀行券である連邦準備券が発行され、各行ごとに公定歩合が設定されることとなったのです。


2011.11.16「欧州の信用危機に学べ」

 2010年1月に欧州委員会がギリシャの財政に関して統計上の不備を指摘し、ギリシャの財政状況の悪化が表面化した。ギリシャは2009年10月に政権交代が行われたが、パパンドレウ新政権に変わったことにより前政権が行ってきた財政赤字の隠蔽が明らかになったのである。これを受けて格付会社は、相次いでギリシャ国債の格付けを引き下げ、ギリシャ国債は暴落した。

 ギリシャ危機が生じたのは、その債務そのものの大きさよりも、政府がそれを隠蔽していたことで政府への信認が失墜したことが大きかった。しかし、市場はギリシャの財政問題をクローズアップしたことにより、同様に不動産バブルの後遺症により債務状態が悪化したアイルランド、さらにポルトガルにも飛び火したのである。

 金融危機後の銀行の救済で深刻な財政危機に陥ったアイルランドは、2010年11月末に欧州連合(EU)と国際通貨基金(IMF)との間で総額850億ユーロ規模の緊急支援を受けることで合意した。欧州最大の独立系中央清算機関であるLCHクリアネットが、アイルランド国債に対する証拠金を11月10日に引き上げ、それがひとつのきっかけとなり、アイルランド国債の利回りが上昇した結果、支援を仰ぐこととなった。

 2011年4月にポルトガルのソクラテス首相はテレビ演説において、ポルトガル政府が欧州連合(EU)の行政執行機関である欧州委員会に金融支援を要請することを決めたと述べた。支援要請はこれにより、ギリシャとアイルランドに次いで3か国目となった。この際にも、 LCHクリアネットによる証拠金の引き上げがあった。

 そして、今度は巨額の債務残高抱えるイタリアにも信用不安が及んだ。政権基盤が脆弱であった分、財政再建が遅れがちとなっていたことが懸念材料となった。2011年11月8日のイタリア下院での2010年度会計報告に関する法案の採決は可決されたものの、ベルルスコーニ政権が下院で絶対多数を維持するための票数を割り込んだことで、首相は財政緊縮法案が来週議会で可決され次第、辞任する意向を表明した。

 ベルルスコーニ首相の辞任表明でイタリアに対する信用不安はいった後退するかに思われたが、11月9日に欧州の証券決済機関のLCHクリアネットが、イタリア国債の取引に必要な証拠金を引き上げたことをきっかけに、イタリアの10年債利回りが7%台に上昇し、アイルランドやポルトガルが金融支援を余儀なくされた水準であるところの長期金利7%という分岐点を突破した。

 昨年のギリシャを皮切りに、債務問題がアイルランドやポルトガルにも飛び火し、ついにユーロ圏でドイツ、フランスに次ぐユーロ圏で第3位の経済規模となっているイタリアにも飛び火した。イタリアの経済規模はギリシャなどに比べて格段に大きく、仮にイタリアの債務問題が深刻化すれば、ギリシャの債務問題の比ではない。

 しかし、イタリアは債務残高こそ巨額なものとなっているが、ユーロ圏内ではドイツとともにプライマリー・バランスは黒字となっており、2011年の財政赤字はGDP比で4.1%と、これはフランスの5.8%よりも低い数値である。イタリアの足下の財政についてはむしろ健全とも言える。決して財政状態がそれほど悪くない国でも、このように政治の不安定さや財政再建の遅れ、そして巨額の債務残高を背景に信用不安は起こりうることをイタリアが示している。

 つまり、決して盤石とはいえない日本の野田政権は、財政再建を目指してはいるが消費税増税にしても民主党内での反発も強い。TPP問題も今後の動向によっては党内の分裂を招きかねない。さらに日本の債務残高はイタリアの比ではない。日本の2011年の財政赤字はGDP比で10.5%もあり、債務残高のGDP比ではイタリアの120.6%に対して日本は233.2%と非常に大きく(IMF調べ)、もしも何かのきっかけで日本に対する信用不安が起きれば、現在イタリアで起きている同様のことが、日本でも起きうる。

 イタリアの長期金利と日本の長期金利を比べると1995年あたりからの動きは非常に似通っていたことがわかる。1998年にイタリアの長期金利は6%を割り込んでから、この6%が天井となっており、日本は1999年2月に一時長期金利が2%を超えたが、その後はこの2%が天井となり長期金利は低位安定していた。

 イタリアがその6%を超えてきてから利回り上昇が加速したように、日本でも信用不安が生じれば2%をあっさり超えてくることが予想される。しかも1999年あたりに比べて国債残高は大幅に増加しており、日本の長期金利の上昇により国内金融機関に大きな打撃を与える上に、利払い費用の増加により財政をさらに悪化させる。

 日本の場合には国内資金で日本国債が賄われなくなったときに、このような長期金利の上昇を引き起こす可能性がある。これが潜在的な不安要素になっており、何かのきっかけ次第では日本の債務問題がクローズアップされ、急激な長期金利の上昇を招き、世界経済に大きなショックを与えかねない。これを防ぐためには、財政再建を急ぐほかはない。それを欧州の信用危機は教えてくれている。


2011.11.15「ラガルドIMF専務理事の来日」

 国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事が11日から12日にかけて来日した。欧州危機に対するIMFなどを通じた支援のあり方や、2012年に日本で開くIMF総会などについて議論するのが目的とみられる。

 12日にラガルド専務理事は安住淳財務相と財務省内で会談し、欧州の財政危機など世界の経済情勢について意見交換した。ラガルド専務理事は、IMFが財政を監視下に置くイタリアや、新しい連立内閣が発足したギリシャの動向を説明したようである。

 安住淳財務相との会談後の記者会見では、「ユーロ圏危機が一段と悪化すれば、世界中、特にアジアに影響を及ぼすだろう」と発言。また、日本の為替介入についても話をしたようで、為替介入についてはG7声明に沿ったものと認識している、と述べたようだが、われわれは、介入の最も効果的な方法は協調行動だと考えていると付け加え、遠回しながらも単独介入に懐疑的な見方を示したとも言える。

 国際通貨基金(IMF)と世界銀行の合同年次総会は来年10月に東京で開催する。日本での開催は東京オリンピックが開かれた1964年以来、実に48年ぶりの開催となる。IMFのサイトによると、IMFと世銀グループの年次総会には毎年、中央銀行総裁、財務・開発大臣、民間企業の幹部、学会の専門家などが集まり、世界の経済の見通し、貧困撲滅、経済発展、そして援助の有効性など世界的な課題について話し合われるそうである。

 果たして来年10月のIMF総会の中心的な話題は何になるのであろうか。欧州の信用問題を引きずっているのか。それとも、信用不安の連鎖により、開催国日本の債務問題がクローズアップされているかもしれない。

 さて、来日したラガルド氏であるが、弁護士出身で、農業・漁業相などを経て2007年6月に経済財政相(財務相に相当)に就任したが、G8では初めての女性財務相でもある。その人柄について、女性政治家として成功しながらエリート臭がなく飾らない性格と伝えられており、フランス国民に親しまれているそうである。

 これに対してラガルド氏はユーロ圏を破産させかねないとの見方もある。「ラガルドはユーロ圏の熱心な擁護者という点で致命的な欠陥があると主張。IMFが直面している最大の課題、つまり欧州の債務危機に対して客観的な立場で指導力を発揮できない」とした学者もいる(ニューズウイーク)。

 また、フランス出身のラガルド氏も中立にはなれないとの指摘もあった。しかし、欧州の問題についてはその当事者が最も理解している問題でもあり、この批判が正しいかどうか疑問である。

 ラガルド氏は財務相として2007年から4年間務めていたということはサブプライム・ショック、リーマン・ショック、ギリシャ・ショックなどで混乱した欧州の財政金融問題での舵取りに対して重要な働きをしてきた。この際も調整能力を中心として、その手腕に対する評価は高かったようである。

 来年の日本での総会を控えて、日本国内でもIMFの関心が次第に高まってくる可能性があり、今回のラガルド専務理事の来日に対してマスコミの扱い等は比較的小さかったが、今後は日本でも次第にラガルド人気が高まることも予想される。




2011.11.14「牛熊ゼミナール金融の歴史第34回 南北戦争後の投機と恐慌」

 アメリカでは南北戦争時の不換紙幣発行増によるインフレなどから兌換制度への要望が強まり、1873年の「貨幣法」によって金本位制をアメリカの通貨制度として定め、1879年に施行されました。この金本位制への移行が、その後の不況やデフレの要因とされ、金銀複本位制を求める運動も広まりました。しかし南アフリカやアラスカなどで金鉱が発見され金貨の鋳造が増えたことで、こういった運動も収まり、1900年3月に議会は金とドルを固定させる「金本位制」を明記した通貨法を制定し、これによりアメリカでの金本位制が確立されたのです。

 南北戦争後、アメリカはイギリス資本などをもとにして北部を中心に急速な工業化により経済発展を遂げました。1859年のペンシルバニア州での油田の発見、1869年にオマハとサクラメントを結ぶ最初の大陸横断鉄道が開通、1882年にはエジソンの電灯が点りました。鉄道や道路インフラも整備され、アメリカは巨大な生産力を保持するようになり、工業生産は1894年には世界一となるまでに発展したのです。

 イギリスでも起きた鉄道株を中心とした投機ブームが、アメリカ合衆国でも生じ、この投機の反動による恐慌も繰り返されていました。1869年9月には金の投機などの反動による暴落が発生しました。さらに1873年にも株の暴落が起き、ニューヨーク証券取引所が開設以来始めて取引を停止しました。この暴落の影響で恐慌が発生し、年末までに5千社以上が倒産し、ノーザン・パシフィック鉄道と、50近いニューヨークの証券会社が破産しました。

 1907年にも投機の反動による金融危機が発生し、JPモルガンによるトラスト・カンパニー・オブ・アメリカへの救済により、このときの危機は終息しました。この時代に鉄鋼王カーネギー、石油王ジョン・ロックフェラーなどの富豪が現れた反面、下層の人々は貧困に喘いでいました。当時は「金メッキ時代」とも呼ばれていました。「金メッキ時代」とは1872年に出された小説の名前ですが、この小説はアメリカ合衆国急激な経済成長に伴う拝金主義を皮肉り、政治経済の腐敗や不正を風刺したものです。この作者の一人がマーク・トウェインです。




2011.11.12「牛熊ゼミナール金融の歴史第33回 南北戦争と通貨」

 1861年から1965年にかけて、アメリカ合衆国が南北に分かれて戦った南北戦争が勃発しました。戦争の資金調達のために北部連合政府と南部同盟政府はそれぞれ政府紙幣や国債を発行しました。

 北部政府は裏面が緑のインクで印刷された「グリーンバック」、南部政府は「グレイバック」と呼ばれた政府紙幣を発行しました。それぞれの政府は、1961年に国債、さらに利子のついた政府紙幣も発行しました。

 1863年に北部政府はグリーンバックの増発によるインフレ抑制のため、1863年に国法銀行が設立され、国法銀行による銀行券発行について規定する全国通貨法が制定されました。国法銀行は資本金の3分の1に相当する国債を購入し、これを担保に財務省から担保国債の価格の90%に相当する銀行券を発行したのです。1864年には同法を改正した国法銀行法により、銀行券の兌換は19の準備都市の銀行において集中的に行うこととされました(日銀「中央銀行と通貨発行を巡る法制度についての研究会」報告書より)。これによって南北戦争以前の複数通貨がグリーンバックと銀行券が流通する単一通貨の制度となったのです。

 この国法銀行制度を取り入れたのが日本から渡米し、現地視察を行った伊藤博文です。伊藤の建議により1872年12月に国立銀行条例が定められました。




2011.11.12「ギリシャのパパデモス新首相は高橋是清になれるのか」

 ギリシャの次期政権の首相に、パパデモス前ECB副総裁が任命され11日に新首相として就任した。ルーカス・パパデモス氏はギリシャの中央銀行であるギリシャ銀行でチーフ・エコノミストや副総裁を歴任したのち、1994年から総裁に就任した。2002年には欧州中央銀行(ECB)副総裁に就任し、8年後の2010年5月に退任した。

 パパデモス氏は欧州統合に向けてギリシャ銀行総裁として、ユーロ導入の準備を行うなどユーロ支持者であり、国民の信頼も厚く、次期首相としてパパデモス氏を望む声が強かったようである。さらに、危機的状況にあるギリシャの大連立暫定内閣には、国会議員ではなく中立的な立場にある人物がふさわしいとみられ、パパデモス氏が選出されたと思われる。それはつまり政治家としての経歴がないということでもあり、そのためパパデモス氏の政治的な手腕は未知数である。ただし、ベニゼロス財務相は留任したことで、ベニゼロス財務相などが補佐する格好となるのであろう。

 中央銀行総裁がその国のトップとなるという事例はあまり多くはないと思われるが、日本では高橋是清が日銀の副総裁、総裁を歴任したのち蔵相を経て首相になった事例がある。高橋是清は首相としてより蔵相の際にその手腕を発揮し後生に名をとどめているが、パパデモス氏も困難な状況にあるギリシャを救えるのであろうか。

 高橋是清は日銀副総裁として日露戦争の際の資金調達などでも有名であるが、蔵相として国債引き受け等により昭和恐慌によるデフレを克服したともされている。この高橋是清による日銀による国債引き受けは、国債市場が整備されていない当時、いったん日銀が引受けるが、それを銀行に売却するという手段を講じ、国債消化をスムーズにさせることで財政政策を行いやすくした。このあたりは日銀での経験や知識が生かされてのものであろう。しかし、日銀による国債引き受けというパンドラの箱を開けてしまったことは確かである。高橋蔵相はそれでもデフレが解消し景気回復が達成できれば、国債発行を抑制するなど自らコントロールすることが可能と認識していたのかもしれない。しかし、いったん開いたパンドラの箱は閉じることはできなくなることを、二・二六事件で自らが暗殺されてしまったことにより、自ら歴史に示した。

 パパデモス首相には、ギリシャの債務問題というユーロ圏のみならず世界を震撼させた問題を解決しなければならない責務がある。日本の高橋是清のように中央銀行総裁の経験を生かし、金融の世界で最も重要視される信用問題、特にギリシャという国の信用を回復するために積極的な手段を講じる必要がある。ただし、その手段やコントロールを間違えると悲劇が生じることも高橋是清は教えてくれている。日本の高橋是清のように後世に名を残すのか、パパデモス首相の今後の手腕に注目したい。そういえば高橋是清もパパデモス氏も穏やかな表情をしているが、内に秘めた情熱は強いところが似ているようである。

 そして、イタリアではベルルスコーニ首相の後任として、経済学者のマリオ・モンティ氏が有力視されているとWSJが伝えている。マリオ・モンティ氏は元欧州委員であり、ヨーロッパ連合の閣僚にあたる役職を務めた経済学者である。

 また、イタリア出身のビーニ・スマギECB専務理事は、結局、2013年5月末までの任期終了前に辞任し、来年1月に米ハーバード大学国際問題研究所へ移籍すると発表した。

 フランス出身のトリシェ前総裁が抜けたことで、ECBの役員会にはイタリア出身者がドラギ総裁とスマギ専務理事の2人いるのに対して、フランス出身者がゼロとなっていた。ベルルスコーニ首相が役員会の席をフランス人に譲るとして、早期に辞任するよう求めていたのに対し、辞任の強制はECBの独立性に対する攻撃であり、スマギ理事はECBの支持を得ているとしてそのまま専務理事にとどまっていた。しかし、ここにきての欧州をとりまく情勢の変化もあり、フランスによる圧力もあってか、辞任することになったようである。

 もうひとつ気になったニュースがあった。米格付会社スタンダード・アンド・プアーズが10日に、フランスの最上級格付けの引き下げを示唆する誤った情報を契約者に配信し、その後訂正したという記事である。

 もしフランスが格下げされると、それが今度はEFSFに影響が及ぶ可能性がある。フランスが格下げされた場合には、残りのトリプルA格の国々が拠出負担を引き上げることが必要になる可能性が出てくるためである。

 この誤情報を受けて10日の欧州市場では、株の下げ幅が拡大しフランス国債が売られた。S&Pは技術的な誤りとしているが、欧州の動向に市場が非常に神経質になっているだけに、このようなミスはかなり問題となろう。このため、フランスのバロワン財務相は市場監督当局に対し、今回の誤情報の原因およびその影響について調査するよう要請したそうである。

 すでにムーディーズはフランスの格付見通しを3か月以内に変更する可能性を指摘しており、S&Pも何らかのアクションを準備していた可能性がある。今回の騒動により今後、格付け会社に対してフランス政府がかなり神経質になることも予想される。フランス政府としては、できれば欧州の信用不安がある程度払拭されるまで、格付け会社には動いてほしくないというのが本音であろう。




2011.11.11「牛熊ゼミナール金融の歴史第32回 ドルの誕生」

 アメリカ合衆国では1792年には貨幣法が制定されました。通貨の単位が「ドル」と定められ、金と銀の比価を1対15として共に正貨とする金銀複本位制が発足しました。それまで使われていた通貨は主にメキシコ銀貨でした。ちなみにアメリカ合衆国の通貨のドル(ダラー)という名前は、ドイツで使われた歴史的通貨のターラー (Thaler) から来ていると言われています。

 アメリカ合衆国における中央銀行の設立の機運が高まり、1791年に紙幣の発行や通商規制などの権限を有した「第一合衆国銀行」が設立されたのですが、すでに州立銀行を有していた州政府の反発などよって解散してしまいました。1816年には「第二合衆国銀行」が20%の政府出資により政府の銀行として設立されたのですが、これも州政府の反対などによって1836年に解散してしまったのです。

 連邦政府が銀行に対する規制に関与しなくなった1837年から、連邦政府により国法銀行制度が導入される1863年までの間は、フリーバンキング時代と呼ばれ、この時代には、多くの州で、一定の要件を満たせば発券銀行の設立を認めるという自由銀行法が制定されたのです。1860年には1562行もの銀行が銀行券を発行していました。




2011.11.11「類似していたイタリアと日本の長期金利の推移」

 9日のユーロ圏の債券市場では、欧州の証券決済機関のLCHクリアネットが、イタリア国債の取引に必要な証拠金を引き上げたことなどをきっかけに、イタリアの10年債利回りが7%台に上昇し、アイルランドやポルトガルが金融支援を余儀なくされた水準であるところの長期金利7%という分岐点を突破した。

 このようにイタリアの長期金利は非常に危険なゾーンまで上昇したことになるが、あらためてイタリアの長期金利の推移を見てみると、日本の長期金利の推移に似通っていたことがわかる。

 1995年あたりからのイタリアと日本の長期金利の推移を見てみると、1995年頃のイタリアの長期金利は10%を超えており、日本の長期金利は4%を超えていた。しかし、その後、日本では不良債権処理にともなう金融システム不安などから、長期金利は低下し1997年には2%を割り込んでいる。

 これに対してイタリアの長期金利は、1999年1月の欧州の通貨統合に向けて財政再建を急ぎ、ユーロ税の実施などにより、財政赤字の対GDP比は1996年の7.1%から1997年には2.7%へと急激に低下し、この実施は同時に長期金利の低下を驚異的に進めることになり、1998年にイタリアの長期金利は6%を割り込んだ。

 日本の長期金利は1998年末の運用部ショック後に2%台をつけてからは、2%以下での推移が現在まで続いている。これに対してイタリアの長期金利は1998年以降、今年7月あたりまでは6%以下での推移が続いていたのである。つまり日本の長期金利の2%とイタリアの長期金利の6%が1998年以降の上限となり、その後は両国ともに長期金利は低位安定した動きを続けていた。イタリアと日本では長期金利の低下要因は全く異なるものではあったが、長期金利だけの推移を見ると似たような動きとなっていたのである。

 ところがイタリアの長期金利は今年8月に1997年以来の6%台をつけてきた。この際にはECBがイタリアとスペインの国債買入を開始したことで、6%台乗せは一時的なものとなり、その後、5%割れまで低下した。しかし、ギリシャの信用不安がイタリアに飛び火した結果、再び6%を突破し、チャート上の抵抗線を完全に抜けてきたことにより、長期金利の上昇ピッチが加速され、分岐点とも言える7%台に乗せてきた。

 日本の長期金利はいまのところ1%以下で推移するなど、イタリアの長期金利とは異なり引き続き低位安定している。しかし、何かのきっかけで日本の長期金利が2%という抵抗線を上抜けた際には、イタリアの6%超えと同様に、これまで安定推移していた反動も加わり、上昇ピッチが早まることも想定される。




2011.11.10「牛熊ゼミナール金融の歴史第31回 投機ブーム再び」

 1790年にイギリスで運河を対象にした投機熱が起きたのですが、1793年の経済危機をきっかけに投機ブームは終焉し、運河株は急落しました。その後、次々に独立を果たした南アメリカの国の債券がブームとなり、これは投資業界にとって初めての「新興国市場(エマージング・マーケット)」ブームが起きました。

1825年にはストックトンとダーリントンの間に世界で初めての商用鉄道が開通し、これにより鉄道を主体とした株式公開ブームが発生しました。1824年にネイサン・ロスチャイルドがアライアンス火災保険会社を設立するなど、1825年には70近い企業が株式を公開したのですが、この中には実態を伴わない企業もあったのです。

 投機ブームは1825年の春以降、終焉しました。銀行は商品投機のために商品の手形を割り引き、株や債券を担保に融資を拡大していったのですが、イングランド銀行は銀行券の発行残高の上昇に対し正貨となる金準備が減少したことで自行が破綻しかねない危機に直面し、信用の引き締めに動いたのです。

 イギリスでは金本位制を導入していたものの、地方銀行は1832年まで正貨の裏づけのない紙幣の発行を許されていました。株式投機熱の高まりなどから地方銀行は紙幣の発行額を増加させてきました。しかし、政府の規制も受けておらず経営基盤も弱かったことから、イングランド銀行の信用の引き締めにより、国内各地で取り付け騒ぎが発生し40行以上もの地方銀行が破綻していったのです。

 金融危機を受けて株価が大幅に下落し、すでにイングランド銀行の金準備は100万ポンドを割り込むまで減少しました。この信用危機に対処するため、それまで発行が禁じられていた5ポンド以下の小額紙幣の発行がイングランド銀行に許可され、造幣局が金貨を増産しました。またネイサン・ロスチャイルドがフランスから30万枚の金貨を持ち帰り、イングランド銀行に支払うなどの緊急手段によって、危機を脱することができたのです。しかし、この金融危機による経済への影響も大きく1826年は、ほぼ年間を通じて深刻な不況が続きました。

 1831年にリバプール・マンチェスター鉄道が開業し、時刻表に基づいた世界初の実用的な蒸気機関車を用いた鉄道が開通しました。鉄道が実用化されるにつれ、鉄道は人々の生活を一新させ、革命と呼ばれるほどの劇的な変化を生じさせることになりました。1840年台に鉄道会社の株が大きく上昇し、1845年にイギリスで投機ブームが発生しました。

 1844年にピール条例が成立し紙幣に対しての信用が高められたものの、新規公開された鉄道株への投機熱が次第に懸念材料となってゆきました。鉄道の新線計画は非現実的な数値にまで膨れ上がり、新規公開株も非現実的な価格に上昇したのです。

 1845年10月にイングランド銀行が金準備の減少を受け政策金利を0.5%引き上げて3%にしたことがきっかけとなり、投機熱が後退し鉄道株バブルが崩壊しました。ちなみにイングランド銀行は1839年から事実上金利操作を行うようになっていました。この鉄道株バブルの崩壊の影響により、1846年に入りイギリスの景気が悪化しました。

 穀物価格の上昇などを背景に金の流出が続き、1847年1月にイングランド銀行は政策金利を4%まで引き上げました。しかし、その後も金の流出は続き、金準備が危険水域にまで減少し、イングランド銀行はさらに政策金利を引き揚げ、割引の制限や又貸し出しの回収が行われたのです。10月にイギリス政府は法定最高限度を超えた銀行券発行を認めるなどしたことで、その後、逼迫は収束しました。




2011.11.10「日本も学ぶべきイタリアにおける信用不安」

 イタリア下院での2010年度会計報告に関する法案の採決結果は、定数は630だが、主要野党が棄権したために賛成308票で可決された。ただし、ベルルスコーニ政権が下院で絶対多数を維持するには316票が必要で、それを割り込んだことで、ベルルスコーニ首相は、財政緊縮法案が来週議会で可決され次第、辞任する意向を表明した。

 しかし、9日のユーロ圏の債券市場では、欧州の証券決済機関のLCHクリアネットが、イタリア国債の取引に必要な証拠金を引き上げたことなどをきっかけに、イタリアの10年債利回りが7%台に上昇し、アイルランドやポルトガルが金融支援を余儀なくされた水準であるところの長期金利7%という分岐点を突破した。

 イタリアは債務残高こそ巨額なものとなっているが、ユーロ圏内ではドイツとともにプライマリー・バランスは黒字となっており、2011年の財政赤字はGDP比で4.1%と、これはフランスの5.8%よりも低い数値である。参考までに安全資産として国債が買われている国では、日本は10.5%、米国は9.9%、英国は8.5%、ドイツは1.9%である(IMF調べ)。

 このようにイタリアの足下の財政についてはむしろ健全とも言えるが、政権基盤が脆弱であり、その分、財政再建が遅れがちとなっている。ベルルスコーニ首相は、2013年までに財政の均衡化を目指す一連の措置を提示していたが、年金制度改革をめぐって、国内で連立を組む北部同盟と対立するなどしていた。この与野党での債務削減を巡る対立に加え、ベルルスコーニ首相のスキャンダルも与野党での争点となり、このあたりが市場では嫌気されたとみられる。

 日本と同様に巨額債務を抱えていることで、今後3年で償還を迎える国債のため6000億ユーロ以上の資金を調達する必要があり、その際に長期金利が大きく上昇してしまうと、借換に支障をきたす可能性もある。政治上のリスクにより現実に長期金利が上昇していたことで、さらに信用不安が高まるといった悪循環に陥りつつある。

 ベルルスコーニ首相の辞任ですべてが解決するわけではない。あらたな首相が積極的に財政再建を薦められるかどうかもはっきりしない。しかし、イタリア政府は緊縮財政を確実に進めるため、IMFの監視を受けることで合意するなど、今後、積極的な財政再建策を進める以外に手はないことも確かである。今後の首相選びやイタリアの政局の動向など次第では、イタリアの信用不安が少しずつ改善される可能性はあると思う。

 このイタリアの動向をみると、そのイタリアのGDP比債務残高120.6%を遙かに上回る233.2%の国のことを思わざるを得ない。決して財政状態が悪くない国でも、このように政治の不安定さや財政再建の遅れ、そして巨額の債務残高を背景に信用不安は起こりうる。どこかの国の情勢に非常に似通っているのではなかろうか。民主党総裁選では唯一、財政再建を唱えた野田氏が首相となり、財政再建に向けての消費税引き上げも事実上の国際公約とした。日本の信用不安が起きる前に、何をしなければいけないのか、イタリアの信用不安という事例から学ぶべきことが多いと思う。




2011.11.9「牛熊ゼミナール金融の歴史第30回 金本位制の導入」

 ナポレオン戦争により、イングランド銀行の保有する貴金属が激減し、一時的に兌換が停止されました。さらにナポレオン戦争の終結後、輸入が増大したことで金の流出が起きました。これにより紙幣価値が大きく下落し、インフレが発生しました。

 経済学者デイビッド・リカードは1810年に「地金の価格高騰について、紙幣暴落の証明」という小論を発表し、これをきっかけに金本位制に向けて議会に専門の委員会が作られました。1816年に貨幣法が成立し、これにより世界で始めてイギリスで金本位制が導入され、ソブリン金貨と呼ばれる1ポンドに相当する金貨が鋳造されたのです。

 イングランド銀行は1833年の銀行条例によって額面5ポンド以上のBOE券が法貨として認められ、同時に割引率も自由に変更が可能となりました。さらに1844年のイギリスの銀行法(ピール条令)によって、イングランド銀行以外の民間銀行が発行していた流通通貨の額を増やすことができなくなり、事実上イングランド銀行が通貨の発行権を独占することになりました。これは1820年代の英国の金融危機を受けてのものですが、これによりイングランド銀行は中央銀行としての地位を高めていったのです。

 ピール条例はイングランド銀行券の発行高を金準備による制約を課して、厳格に制限しました。この厳格な規制によりイングランド銀行券の価値は金と等しく見なされました。つまりイングランド銀行は、金と交換できるポンド表示の兌換紙幣を発行し、イングランド銀行が発行した紙幣と同額の金を常時保管することで、金と紙幣との兌換を保証することとなったのです。

 こうしてポンドはその通貨価値が金と等しくなったことで国際的にも信用度を高めて行きました。1816年の金本位制採用から1914年の金本位制度停止までの約100年近くの間、金平価によるポンドの信認が維持され、国際通貨として通用するようになり、国際間の取引がポンドを通じてロンドンで行なわれるようになったのです。これによりロンドンが世界の貿易金融の中心地となり、世界の銀行とも呼ばれるようになりました。イギリスに続き1871年にドイツ、1873年にアメリカ、1876年にフランスなど、欧米主要国は金銀複本位制や銀本位制などから金本位制へと移行しました。




2011.11.9「ECBによるイタリアへの対応」

 今月1日にECB総裁に就任したのは、イタリア出身のマリオ・ドラギ氏である。その結果ECBの役員会は、イタリア出身のマリオ・ドラギ総裁、ポルトガル出身のヴィトル・コンスタンシオ副総裁に加え、スペイン出身のゴンザレス・パラモ氏、ドイツ出身のユルゲン・シュタルク氏、ベルギー出身のピーター・プラート氏、イタリア出身のビーニ・スマギ氏の6名の専務理事で構成されている。

 ちなみにECB役員会はECBの執行機関となっており、最高意思決定機関であるECB理事会が策定するガイドラインに従い金融政策を実施する(日銀のサイトより)。

 ECB理事会にはユーロ圏の17か国の中央銀行総裁も加わる。このため、マリオ・ドラギ総裁、ビーニ・スマギ専務理事、そしてイタリア中銀のイグナシオ・ビスコ氏総裁と、23人のECB理事会メンバーのうち3名のイタリア出身者が存在する。

 イタリアのベルルスコーニ首相は10月にビーニ・スマギ専務理事に対し、フランスとイタリアの関係がこれ以上冷え込むのを防ぐため、フランス出身のトリシェ前総裁が抜けることで役員会の席をフランス人に譲るとして、早期に辞任するよう求めていた。

 しかし、ビーニ・スマギ専務理事は任期が2013年までとなっており、辞任の強制はECBの独立性に対する攻撃であり、スマギ理事はECBの支持を得ているとしてそのまま専務理事にとどまっている。これには、理事会メンバーであるメルシュ・ルクセンブルク中銀総裁なども理解を示すような発言があったが、政治からの独立性を意識すれば妥当であろう。

 そして、そのメルシュ・ルクセンブルク中銀総裁は、もしイタリアが確約した改革を実行しないと判断した場合、ECBによるイタリア国債の買い入れを停止する可能性をECB内で、討議していたことを明らかにした。

 11月3日のECB理事会において、国債の買入増額などは行わず利下げを行った。ECBによる国債買入拡大にはドイツなどの反対があったためとみられるが、メルシュ総裁の発言を見る限り、そもそもイタリア国債の買入増額を議論できるような状況にはなかった可能性がある。

 メルシュ総裁を含めECB理事会メンバーからは、ユーロ圏債務危機解決に向けECBが最後の貸し手となることは望まないとの発言が繰り返されている。メルシュ総裁は責任を果たさない政府を救済するのがECBの仕事ではないとして、名指しはしていないものの、その政府は婉曲的にギリシャ、そしてイタリアを示していたものと思われる。

 イタリア政府は緊縮財政を確実に進めるため、IMFの監視を受けることで合意したと伝えられている。イタリアのベルルスコーニ首相は、2013年までに財政の均衡化を目指す一連の措置を提示したが、これが実行に移されるのかどうか他のユーロ加盟国、そしてECB内でもそれを危ぶむ見方も強いようである。

 欧州の信用不安がギリシャから直接、イタリアに向かいつつあり、これを回避するにはイタリアそのものが財政再建に積極的にならざるを得ず、だからこそ異例ともいえるIMFの監視も受け入れたとみられる。

 イタリア出身のマリオ・ドラギ総裁を含め、3名のイタリア出身のECB理事会メンバーは、かなり難しい立場に置かれているようにも見える。ドラギ総裁として最初のECB理事会では利下げという手段をとってきたが、そのカードは限られている。出身国を信用不安から救うためには国債買入増額とかではなく、財政再建を促すことが重要となる。しかし、それは国民の痛みを伴うものであり、また政権の実行能力にも問題が残る。イタリア国民の意識を変えられるものなのか、ECBによるイタリアへの今後の対応についても注意しておく必要がありそうである。


2011.11.7「牛熊ゼミナール金融の歴史第29回 フランスやドイツにおける中央銀行設立」

 1800年にナポレオン・ボナパルトがフランス内の貨幣統一を目指し、国家管理のフランス銀行(Banque de France)を設立しました。1803年には銀行券発行の独占権が認められ、1805年以降は国家が総裁と2人の任命権を持つようになりました。

ドイツでは国家公認の発券銀行として1835年にバイエルン不動産銀行、1838年にライプチッヒ銀行が設立されました。1846年に王立銀行がプロイセン銀行と改組され、1851年以降はプロイセンの首相が同行の頭取を兼任しました。1875年に連邦におけるプロイセン銀行の後継としてライヒス・バンクが設立されました。

 ベルギーにおいては、1851年にベルギー国立銀行が設立されました。他の銀行は新しい国立銀行の株の保有と引き換えに自前の銀行券の発行を停止し、これにより事実上、ベルギー国立銀行が銀行券の発行権を独占したのです。ちなみに、日本銀行の設立にあたっては、このベルギー国立銀行がモデルとされたのです。




2011.11.7「牛熊ゼミナール金融の歴史第28回 日本国債のルーツの御用金」

 江戸時代には江戸や大阪の商人から半ば強制的に御用金と呼ばれるものを徴収していました。御用金とは幕府が慢性的な財源不足や臨時の支出を補填するために発令したもので、江戸や大阪の商人などから半ば強制的に金銀を徴収していたものです。利子付きであり、元金返済を前提としているので強制的な「公債」という性格を持っていました。その利子も年利2〜3%という超低利であり、現在の国債と同様のものとなっていました。

 1761年大坂の商人205名に対し170万両を命じたのが最初です。当初は大坂や江戸の豪商に対して課せられたものでしたが、その後は堺、兵庫、西宮などの富裕町人、さらには一般町人や農村の富裕層にも命じられるようになりました。幕末に近づくほど頻繁に発令されました。特に1866年第2次幕長戦争の際には、大坂・兵庫・西宮の商人に700万両の御用金が指定されました。ただし、利子がしっかり支払われたのは最初の数年間のみで、幕末になるにつれ、利子はもちろん元金もほとんど償還されなくなっていったようです。 明治政府も当初、財政確保のためしばしば御用金を課したのですが1869年に廃止され、国債制度に切り替えられたのです。

 牛熊ゼミナール金融の歴史は今回で第28回目を迎え、これにて中世・近世における金融(日本編)が終了です。これで掲載予定のもののおおよそ半分が終了しました。次回からは、再び海外に目を向け、時代も近代へと移ります。もしよろしければ牛熊ゼミナール金融の歴史のご感想などいただけるとうれしいです。




2011.11.7「ロゴフ教授の予見」

 10月27日にハーバード大学のケネス・ロゴフ教授は講演で、「基本的にこれまでと大差ないと私は感じた。数か月の時間をどう稼ぐかを考え出しただけだ」と述べたと伝えられた。これは26日の長時間にわたる協議の末に、やっとのことでまとめたギリシャの債務問題に対する包括戦略への感想であった。さらにロゴフ教授は市場の動きについて、「市場はまだ生きていると喝采を受けたというのが、私の解釈だ」と述べ、「かなり短期間のうちにも疑念は再び広がり始めるだろう」と予想した。

 ロゴフ教授といえば、カーメン・ラインハート教授とともに「国家は破綻する」、原題「This time is different」という著書を出版していることでも知られている。2001年から2003年までIMFの経済担当顧問兼調査局長を務めた。そのロゴフ教授は、米大手金融機関の破綻をリーマン・ショック前に予見していた。その後、政府が経済を守ろうとして銀行を救済すると、今度は公的部門がダメージを受けると指摘し、今回の欧州の債務問題も予見していたことでも知られる。

 このように予言めいたものを的中させ、それが評判になり一躍、時の人となってしまうと、次の予言が的外れなものとなってしまうことはよく見かけることである。実は10月27日のロゴフ教授のコメントを見たときも、これが頭の中を過ぎった。

 ところが今回もロゴフ教授の予見はとりあえず的中してしまう。ギリシャのパパンドレウ首相は31日に突然、ヨーロッパ連合が合意したギリシャの債務削減などを柱とする信用不安への包括戦略について、それを受け入れるかどうか国民投票を行うという考えを示し、欧州の債務問題は振り出しどころか、さらに事態を悪化させかねないような状況に陥りさせたのである。

 ロゴフ教授は、27日にギリシャは今後10年以内に少なくとも80%程度の確率でユーロ圏を離脱するとの見方を示したそうであるが、今年初めには欧州連合(EU)と国際通貨基金の救済を受けた後も、ギリシャのデフォルトの可能性を指摘しており、ギリシャのユーロ離脱についても以前から指摘していた。

 今後もこのロゴフ教授の予見が的中するかどうかはわからない。ロゴフ教授の予見の背景には、過去の国のデフォルト事例を膨大なデータを元にしてまとめ、それが拠り所となっている点にも注意しておく必要がある。

 過去の金融の歴史を見る限り、今回のリーマン・ショックという金融危機が起こりえることは予見できた。それは例が適切かどうかはわからないが、過去の大地震の痕跡を辿れば、3・11のような巨大地震が起きることは予見できた(時期の予見は難しいにせよ)。さらに、それによる津波の被害、つまりリーマン・ショック後のギリシャ・ショックも歴史をたどれば予見ができたということになろうか。

 ロゴフ教授は下記のような発言もしている。巨額の財政赤字を抱えた国民としては無視してはいけない警告であろう。

「日本の状況はさらに悪く、その比率は200%を超えている。しかも日本は、巨額の災害復興費用の負担だけでなく、人口減少にも直面している。これらの問題に対する簡単な解決策は見当たらない。当面、低金利で債務返済の増加は抑制されている。しかし、債務は長期にわたって徐々に削減することしかできないが、インフレ調整後の実質金利は急激に上昇する可能性がある。債務危機は晴天の霹靂(へきれき)のごとく襲ってくるのだ。債務が増加している国には、想定外の事態悪化に対応するだけの余裕はなく、金利上昇の影響が直撃することになるだろう」(2011年6月7日の東洋経済オンラインの記事より引用)




2011.11.5「自らIMFの視察団受け入れを申し出たイタリア政府」

 NHKの報道などによると、4日にイタリア政府は緊縮財政を確実に進めるため、IMFの監視を受けることで合意したと伝えられた。1997年11月、韓国政府はIMFに200億ドルの緊急支援を要請し、これにより韓国はIMFの管理下に入った。この際もIMFは韓国に監視団を送り、緊急融資を行うのと引き換えに厳しい緊縮財政などを求めた経緯がある。しかし、今回は、イタリア政府による自発的な申し出に基づくものであり、融資などを伴うものではなく、財政再建策の進捗状況を点検するためのものだとしている。

 以前にこのコラムでも書いたが、イタリアのベルルスコーニ首相は、11月15日までに経済行動計画を提示することを確約し、2013年までに財政の均衡化を目指す一連の措置を提示した。ここには2026年までに年金の支給開始年齢を67歳に引き上げる方針が盛り込まれた。ただし、この年金制度改革をめぐっては、今年初めから女性の年金受給開始年齢について国内で連立を組む北部同盟と対立し、その北部連盟は経済改革の柱となる年金制度の改革で大きな譲歩をすることを拒んでおり、ベルルスコーニ首相は難しい立場に追い込まれている。

 イタリアに対しては、ユーロ圏の他の加盟国から追加の財政再建策を求める圧力が高まっている。イタリアの経済規模はギリシャなどに比べて格段に大きく、もし仮にイタリアの債務問題が深刻化すれば、ギリシャの債務問題の比ではない。イタリアはドイツ、フランスに次ぐユーロ圏で第3位の経済規模となっており、世界の中でも第7位の規模である。公的債務は1.8兆億ユーロとなっている。

 イタリアの10年国債の利回りは、今年6%台に乗せたあとECBによるイタリア国債の購入により5%以下まで低下したが、その後再び上昇基調となり、現在は6.4%近辺にまで上昇しており、このまま分岐点ともされる7%に向けて上昇する可能性も出てきた。

 ギリシャの動向はまだまだ予断を許さない状況ながら、欧州の信用不安はイタリアにまで及ぼうとしている。イタリア政府としては、積極的な財政再建策を進める以外に手はないものの、ギリシャ同様に国民の犠牲を強いる政策に対しては、反対する声も強い。これに対してIMFという外部機関の意見を聞く格好で、国民に対して財政再建に向けた協力を求めることが目的であろう。

 イタリアは過去も財政再建に向けて手を打ってきたことがある。1990年代前半までイタリアは巨額の財政赤字となっていた。このため、イタリア政府は欧州通貨統合への参加に向けて強力な財政改革1992年より実施した 。財政改革開始前の1991年における財政赤字の対GDP比は11.5%であり、これを1998年までに3%以下にしようというのが改革のスケジュールであった。欧州通貨統合への参加がイタリアにとり経済発展の必須条件との見方が多くになり、そのためには財政健全化等の通貨統合参加基準の遵守が重要であるとの認識が国民の間で強まったことがあげられる。このため、イタリア政府は増税とともに、歳出削減も強力に実施したのである。イタリアは当時の日本と同様に公共事業投資が多くも利益誘導型の古い政治体制となっていたが、それが崩壊し、新しい勢力が政治をリードしたことも要因と言われる。さらに年金改革も進められ、支給開始年齢の引き上げ、適格要件の厳格化などにより、大幅な支出削減が行われた。

 このように過去を振り返るならば、イタリアは財政再建に向けた努力を行い、財政赤字をGDPの3%以下に押さえ込むことに成功した事例が存在する。「スペインやポルトガルがユーロに参加し、イタリアだけが取り残されるのは、イタリア人のプライドが許さなかった」というイタリア人の国民感情を利用したといった指摘もあったが、今回もギリシャの事例を見せられているだけに、イタリアは自発的な努力で信用不安を封じ込める可能性はあると思われる。


2011.11.5「ギリシャでは何が起きているのか」

 ギリシャ議会では5日未明、パパンドレウ内閣に対する信任投票が行われ、信任案は153対145の賛成多数で可決された。与党議員のうち1人が信任投票に反対する方針だと伝えられており、そうなれば与党の全ギリシャ社会運動(PASOK)の議席は300議席中152議席と過半数ぎりぎりとなっていたはずだが、信任投票に反対する方針議員も賛成に回ったようである(棄権が2票)。パパンドレウ首相は、自らの辞任とベニゼロス財務相が新首相として野党側と連立協議を始めると報じられている。

 31日にギリシャのパパンドレウ首相は突然、ヨーロッパ連合が合意したギリシャの債務削減などを柱とする信用不安への包括戦略について、それを受け入れるかどうか国民投票を行うという考えを示した。これによりギリシャの政局が一気に混迷を極めたが、そもそもなぜパパンドレウ首相は極めて危険なカードと言える国民投票を持ち出してきたのか。

 欧州の首脳会議を経て包括戦略はまとまったものの、パパンドレウ首相としては、4日の内閣の信任投票を控え、海外からの反対を覚悟の上で国民投票で国民から賛同を得ない限り、国民に負担を強いる包括戦略を実行に移すことが困難との認識を持ったものと考えられる。ここには野党で二大政党の一翼でもある新民主主義党が大きく関与しているとみられる。パパンドレウ首相は、「ギリシャの政党間で広い合意が必要で、もし合意できるのなら投票は必要ないし、合意ができないのであれば国民との間で合意が必要だ」と述べ、野党と合意できていないことが国民投票に踏み切る理由であることを明らかにしていた(NHK)。

 新民主主義党のサマラス党首は、これまで政府の緊縮策を批判し、ユーロ離脱も辞さないとの姿勢を示していた。しかし、パパンドレウ首相が賭に出ようとした国民投票に対する内外からの批判をみて窮地に陥るとみると、踵を返すように「我々はEUとユーロ圏にとどまる」「追加支援策を無にしてはならない」と表明したのである。

 たしかにパパンドレウ首相が世界を振り回す格好ではあったが、パパンドレウ首相そのものはサマラス党首に振り回された格好とも言える。また、その間に現れたのがベニゼロス財務相である。ベニゼロス財務相はパパンドレウ首相が宣言した国民投票に反対の方針を示し、与党内の有力議員がパパンドレウ首相に対して辞任を要求するような事態となっていた。このため、野党新民主主義党の方針転換とともに、パパンドレウ首相が退陣を示唆したことで、内閣の信任投票において与党内で内閣信任に反対していた議員らも賛成に回ったものとみられる。

 ユーロ圏諸国に対し国民投票の断念を正式に伝えたのはパパンドレウ首相ではなく、ベニゼロス財務相であった。ベニゼロス財務相は火中の栗を拾ったのか、それとも漁夫の利を得たのかはわからない。連立協議の行方も、サマラス党首が与党全ギリシャ社会運動との対決姿勢を鮮明にしているため先行きは不透明である。国民投票という危険な博打は取り下げたことで、ギリシャは支援策を受け入れ、ユーロ離脱という最悪シナリオはいったん回避された格好であるが、新首相となるであろうベニゼロス財務相にとり、今後の政権運営はこれまで以上に困難を極める可能性もある。


2011.11.5「FRBとECBのスタンスの変化」

 ギリシャ問題で揺れ動く中、1日から2日にかけて米国ではFOMCが開かれ、3日にはECB理事会が開催された。

 2日のFOMCでは、金融政策については賛成多数で現状維持を決定した。ただし、最新の経済見通しで、経済成長率や失業率の見通しを大幅に下方修正し、バーナンキFRB議長の会見では、「景気回復の継続を確かなものにするために適切な行動を取る用意がある」と発言し、追加緩和に含みを持たせた。その追加緩和としては、住宅ローン担保証券(MBS)の追加購入は「現実的な選択肢」だと述べたそうである。

 今回反対票を投じたのは、シカゴ地区連銀のエバンズ総裁で、反対理由は追加緩和を求めてのものであった。エバンズ総裁はMBS購入拡大を主張しているとみられる。また、9月のFOMCで反対票を投じたフィッシャー、コチャラコタ、プロッサーの各委員は今回、賛成票を投じた。 

 FOMCの前にタルーロFRB理事が、「MBS購入は選択肢の上位に入れるべきだ」と発言したり、イエレンFRB副議長も経済状況が追加緩和を正当化するなら、量的緩和第3弾は適切な措置になるかもしれないとの認識を示すなど、FRBの執行部もQE3について前向きの姿勢を示していた。それが今回の金融政策の票決にも現れていた。ただし、追加緩和というカードそのものは今回温存された。欧州の信用不安の行方など非常に不透明感が強く、タイミングを見計らってそのカードを切るつもりであろうか。次回のFOMCは12月13日に開催される。

 そして、3日のECB理事会においては、主要政策金利であるリファイナンス金利を0.25%引き下げ1.25%とした。

 10月31日に発表された10月のユーロ圏の消費者物価指数速報値が、前年同月比3.0%の上昇となっていたことで、今回は利下げは行わないとの見方が出ていたことで、市場では今回の利下げには意外感も出ており、3日の欧米の株式市場などではこれを好感した。

 11月1日に就任したばかりのマリオ・ドラギ新総裁は、理事会後の就任後初めてとなる会見で、景気の下振れリスクが増しており、そのため物価上昇率は2012年中に2%未満となるとの見通しを示し、消費者物価指数が上昇する中にあっての利下げの理由を説明した。

 今回の利下げは景気そのものへの配慮したこともあろうが、ギリシャの信用不安で市場心理が悪化している中、少しでもそれを改善することが意識された結果、追加緩和を決定した可能性がある。ただし、ドイツなどが反対していたECBによる国債買入拡大には踏み込まなかった。

 今回の決定は全会一致ともドラギ総裁は語ったようで、ドイツ出身者からの反対はなかった模様である。本来であればECBは採決の結果については明らかにしないが、あえて反対者がいなかったことを強調した格好と言える。また、ドラギ総裁からは、「私はドイツ連銀の伝統に敬服している」との発言もあったようである。ドラギ総裁はイタリア出身ではあるが、ブンデスバンクを中心とした欧州の中銀の伝統を受け継いでいるとみられている。

 このように今回のFOMCとECBでは、これまでと明らかに変化が出てきている。FOMCではフィッシャー、コチャラコタ、プロッサーのいわゆるタカ派が影を潜め、エバンズ総裁のようなハト派の意向が強く意識されるようになってきた。

 そしてECBでは深刻な問題となりつつあったドイツ出身者などとの意見の対立を回避し、その上で欧州の危機対応に向けた姿勢をとった。ドイツやフランスという大国の板挟みとなる中での、マリオ・ドラギ新総裁がどの程度の手腕を発揮できるか注目されていたが、ただのマリオではなく意外にもスーパーマリオであった可能性もある。もちろんそれが明らかとなるのは、今後のECBでの舵取り次第となるわけではあるが。




2011.11.4「牛熊ゼミナール金融の歴史第27回 開国と金の流出」

 南鐐二朱銀発行により銀貨は秤量貨幣から金貨単位の計数貨幣となり、文政・天保期においては財政補填を目的として計数銀貨を中心に改鋳が実施されました。さらに、三貨制のもと銀貨は本来補助貨幣であったものの、金貨と並ぶ基本貨幣として機能しました。計数銀貨の価値としては天保一分銀4枚が小判1枚に等しいと定められ、計数貨幣における銀貨と金貨との交換については素材価値とは独立した比率が適用されたのです。計数銀貨の普及とともに、日本における計数銀貨ベースの金銀比価は当時の国際相場(1対15)を大きく上回る1対5〜6程度にまで上昇していたのです。つまり、日本では国内要因により、金貨に対する銀貨の信用度が海外に比べておよそ3倍程度高めに設定されていたのです。

 1853年にペリーが浦賀に来航し、1854年に日米和親条約を締結し、さらに1858年の日米修好通商条約により、貨幣の交換比率は銀貨を基準に定められたことで問題が発生しました。当時のアジア貿易で貨幣に使われていた多くがメキシコドル(銀貨)でした。一方、日本国内では一分銀が使われていました。米国総領事のハリスは市中に流通している天保一分銀は2.3匁(8.62グラム)であり、1メキシコドル銀貨は26.73グラムであり、100ドルは一分銀310枚に相当するため、1ドル銀貨の約1/3の量目(質量)である一分銀3枚を持って1ドルに換えるべきであると主張したのです。

 名目貨幣としての銀貨は国際的には通用しないとの理由で、同種同量交換の1対3分の交換比率を承諾させられてしまったのです。日本国内における計数貨幣としての銀貨は、国際相場に比べて金貨に対して3倍程度割高であったことから、これを受けて日本の金が大量に流出されることになったのです。

 たとえば4メキシコドルを銀に換えると一分銀12枚になります。これを、日本国内で金貨に換えると、一分銀4枚で金1両と交換できるため銀12枚だと金3両となります。この金3枚を海外でメキシコドルに戻すと、国際的な交換比率により金1両がメキシコドル4枚となるため、金3枚で12ドルになります。したがって、日本を通すだけで4メキシコドルが3倍の12ドルになる仕組みとなってしまったのです(NHK高校講座「日本史」より)。

 幕府は金貨の大量流出を懸念し、開港直前の1859年5月に額面価値を半分に落とした安政二朱銀を新鋳し、海外並みの金銀比価を実現しようとしました。しかし、諸外国からの強い反発に押し切られ、この対応政策は中止に追い込まれてしまったのです。日本における計数銀貨の金貨価値が国際相場の約3倍に過大評価されていたため、このようにリスクなしに多額の利益を得ることができたことで、アメリカ、イギリスなどの商人により日本から1年余りで約50万両もの金が流出してしまったのです。

 これを受けて徳川幕府では、1860年4月に金貨1両当たりの金の含有量を約3分の1に引き下げるという金貨改鋳を行い、これによって国内の金銀比価はほぼ海外並みとなり、金貨の海外流出に歯止めがかかったのです。しかし、これにより貨幣価値が下がり、物価が上昇し極度のインフレ状態が引き起こされ、政情を不安定化させる要因ともなったのです。




2011.11.3「牛熊ゼミナール金融の歴史第26回 計数銀貨の誕生」

 1765年、田沼意次は勘定吟味役の川井久敬の提案を受け入れ、それまでの丁銀と豆板銀に限られていた銀貨に加え、まったく新たな銀貨を発行させました。重さを5匁に固定した五匁銀です。これにより日本で初めての額面を明示した計数銀貨が生まれたのです。このように銀貨と金貨との価値を固定化すれば、銀貨は金貨単位の貨幣となることで、幣制の統一が可能となるのです。

 これは秤で計ることなく通用させるのが目的で、五匁銀12枚を金1両に固定することで、銀相場の影響を受けることなく、銭の代わりとなるものと期待されたのです。しかし、当時の相場が1両63匁近辺であり、1両60匁に固定されたレートでは損失が発生することや、相場変動を利用しての両替で利益をあげていた両替商の抵抗もあり、結局、明和五匁銀は流通が停止されてしまいました。

 しかし、田沼意次は計数銀貨の発行をあきらめず、勘定奉行に出世していた川井久敬は銀座に命じ南鐐銀と呼ばれたほぼ純銀を使用した二朱銀を作らせ発行させたのです。この方形の新貨の表面には「以南鐐八片換小判一両」と書かれ、これが1両の八分の一、つまり二朱であることを明示したのです。

 南鐐とは良質の銀、純銀を意味した言葉であり、実際に二朱銀は純銀に近いものであったものの重さは2.7匁しかなく、本来の2朱相当の銀量の3.5匁よりも少なかったのです。この銀貨に対しても両替商などの抵抗はあったものの、「南鐐」のための信用度の高さや、使い勝手の良さにより、次第に普及して行きました。貨幣経済の発達により名目貨幣ではあっても、銀貨は次第に身近な貨幣として社会に受け入れられていったのです。

 南鐐二朱銀の発行の成功により、金貨体系による幣制の統一が実現されました。これは「金貨本位制」の確立に向けた日本の貨幣金融史上きわめて重要な改革となりました。その後、幕末までに7種類の計数銀貨が発行され、銀貨の約9割が計数銀貨となったのです。




2011.11.3「欧州に新たな火種」

 3日からG20サミットがフランス南部のカンヌで開かれるのを前に、近郊のニースで大規模なデモ行進が行われたそうである。欧州の債務不安を解消するため、欧州では増税や社会保障費の削減を進めているが、これに対する不満も強まっており、それが顕著に現れているのがギリシャである。

 ギリシャのパパンドレウ首相は31日に突然、ヨーロッパ連合が合意したギリシャの債務削減などを柱とする信用不安への包括戦略について、それを受け入れるかどうか国民投票を行うという考えを示した。2日には、内閣がパパンドレウ首相が提案している欧州連合による第2次ギリシャ支援策に関する国民投票の実施の支持を決定した、とも伝えられた。

 ギリシャでも財政緊縮策に向けた動きに国民の不満が高まっており、それが政治にも影響を与えている。4日には内閣の信任投票も予定されているが、与党議員が国民投票の実施に反対し離党し、与党の議席は300議席中152議席と過半数ぎりぎりとなった。さらに与党内の有力議員がパパンドレウ首相に対して辞任を要求するような事態となっている。

 パパンドレウ首相が国民投票の意向を表明したことで、1日にフランスのサルコジ大統領はドイツのメルケル首相と電話会談し、ギリシャに慎重な対応を行うよう促した。3日からのG20サミットの場でも、パパンドレウ首相と対応を協議するようである。

 ドイツのメルケル首相を中心になんとか合意にたどり着けた包括戦略も、このギリシャの対応次第では水泡に帰す可能性が出てくるなど、欧州の債務問題は後退するどころか、さらに深刻の度合いを強めつつある。

 1日の欧州市場では、ギリシャの10年物国債利回りが26%をつけるとともに、イタリアの10年債利回りも6.3%程度に上昇し、ECBが8月に市場からイタリア国債などの買い入れを開始して以来の水準をつけ、分岐点とみられる7%に向けて上昇圧力を強める懸念も出てきている。

 包括戦略では最終的に民間銀行が保有するギリシャ国債のヘアカット率について50%とすることで合意したが、イタリアやスペインの国債利回りが上昇してしまうと、民間銀行はさらなる損失を招きかねない。もちろん調達コストの上昇により、比較的健全ともいえるイタリアなどの財政の悪化要因ともなりうる。ひとつの国の債務問題の解決は非常に困難であることに加え、ギリシャの問題はユーロというシステムそのものに対する課題ともなり、問題を複雑化させている。

 3日からG20サミットでは、包括戦略をまず実行できる状況作りから始めなければならなくなった。その上で各国の協力を仰ぐこととなろうが、12月4日に実施される予定のギリシャの国民投票の動向次第では、欧州の信用不安が新たな局面を迎える可能性が出てきた。




2011.11.2「牛熊ゼミナール金融の歴史第25回 大名貸し」

 全国の諸藩は大坂の蔵屋敷を通じて年貢米のほか特産物を売却し、その資金で必要な物資を購入していました。蔵屋敷ではこれらの売買業務を商人に委託しており、産物の搬入や保管の業務は蔵元と呼ばれたのに対し、売上代金の回収や為替の取り組みなど金融に関する業務は掛屋と呼ばれ、大手の両替商が行っていました。諸藩の財政は主に米で成り立っていたのですが、年貢米の売却による収入が秋から冬に集中するのに対し、諸費用の支払いは毎月あることで、収入と支出に期間のズレが生じました。この季節的な収支不足調整のためのつなぎ資金を供与したのが、掛屋と呼ばれた両替商であり、この一時的な資金の貸付が「大名貸し」と呼ばれたものです。

 江戸初期において大名は社会的信用が高く、商人にとっても安全かつ有利な資金運用先となっていました。ところが、藩の財政事情の悪化により、江戸中期に入り「お断り」と称して借金の未払いが続きました。大名に対しての社会的信用が低下し、「お断り」に対応するために両替商は今で言うところのシンジケート団を組織し、貸し倒れリスクのための情報共有も行われるようになったのです。江戸時代後期になると、大名の財政はより深刻化し、両替商の融資態度はさらに慎重化したことで、次第に大名貸しは衰退し、諸藩の財政は藩札の発行などに頼るようになって行きました。




2011.11.2「金融政策と物価」

 米パシフィック・インベストメント・マネジメント(PIMCO)のビル・グロース氏は、FRBによる追加緩和策は米長期債の利回りを上昇させるため、長期債の保有は避けるべきだとの見解を示したそうである。果たしてこの見方は適切なものであろうか。

 ECBによる国債買い入れは金融緩和というよりも、欧州の信用問題を受けて売られた欧州の国債の買い支えが目的である。つまり、イタリアやスペインの国債利回りを上げさせないようにするのが目的である。このため、ECBは国債買入とともに同額規模の資金吸収を行っている。

 それに対して、FRBによるツイスト・オペや今回検討されるとみられるQE3は、より長い期間の金利を低下させることやMBSの買い入れにより、低迷する住宅市場の梃子入れが目的となっている。それにより景気全体の梃子入れとなれば、物価上昇も促すことになろうが、果たしてそのように動くものであろうか。

 日銀は10月27日の金融政策決定会合で追加緩和策を決定した。これはドル円が最高値を記録していたことを踏まえた円高対応とみられるが、日銀は「物価の安定が展望できる情勢になったと判断するにはなお時間を要すると予想され、国際金融資本市場や海外経済の影響で、経済・物価の見通しがさらに下振れするリスクにも注意が必要のため」と説明していた。つまり円高による景気物価への影響を懸念しての追加緩和と言える。そして、そのために行ったのは、基金による国債の買い入れ増額であった。

 日銀による包括緩和政策の目的は、景気への梃子入れ、つまりはデフレの解消であり、物価を上昇させることが目的である。そのために別枠で国債を買い入れたり、時間軸政策を取り入れて長期金利の低下を促すようにしているものの、もしそれが効果を発揮すれば、物価は上昇し、長期金利は低下ではなく上昇してしかるべきである。

 その意味で、ビル・グロース氏の見解は正しいように見える。しかし、日本の状況を見る限り、残念ながら中央銀行の金融政策では物価の上昇に働きかけることはなかなか厳しいことがわかる。欧米では日本のようにデフレ下にあるとはいえず、状況は異なるとの見方もあるかもしれない。それでも欧州の信用問題などの影響もあるため、FRBの追加緩和による米長期金利の急上昇はむしろ考えづらいのではなかろうか。

 日銀も物価の低迷については依然として頭を悩ませているようで、10月6日、7日の金融政策決定会合には以下のような消費者物価に関する記述があった。

 「何人かの委員は、生鮮食品を除く消費者物価の前年比は、先般の基準改定によって低下したが、物価の実勢に変化が生じた訳ではなく、需給ギャップが縮小するもとで、デフレ脱却の方向に向かっていること自体は変わっていないと述べた。一人の委員は、購入頻度の低い品目を除いた消費者物価指数の前年比がはっきりとしたプラスとなっていることを指摘したうえで、人々の物価観は、ヘッドラインの指数でみるほど、低くはないかもしれないと述べた。ある委員は、基調的な物価変動を捉えるうえで完璧な指数を作ることは困難であり、様々な指標を総合的に判断していくという姿勢が重要ではないかとの見解を示したうえで、基調的な物価動向の適切な捉え方については、引き続き検討を行っていく必要があるとコメントした。」

 なかなか苦しい言い訳にも見えるやりとりである。これを見て、それは日銀による緩和の踏み込み度合いが足りないから、とのご指摘もあるかもしれない。しかし、金融政策による直接的な物価への働きかけは、究極的な手段でもとらない限りは困難であると思われる。究極的な手段とは、たとえば財政ファイナンス目的の国債引き受けなどで、それにより結果として物価上昇という目的は、叶うかもしれない。あとが怖いが。

 中央銀行による金融政策は物価の安定を大きな目的としている。しかし、物価だけを金融政策で操作することは現実にはかなり困難である。そもそも物価は中央銀行の金融政策により短期金利のように上げ下げできれば良いが、短期金利とは異なり、金融政策以外の要因により影響を受けやすい。このため金融政策により物価を動かすには限界があるということを前提で考える必要があろう。




2011.11.1「牛熊ゼミナール金融の歴史第24回 大阪堂島で生まれた先物市場」

 世界最初の取引所といわれている16世紀のアントウェルペン取引所では、すでにオプション取引や先渡し取引が行われていたのですが、現在の形式での先物取引などのデリバティブ取引の原型となっていたのは、江戸時代の大阪堂島で行われた米の先物取引です。

 大坂には諸藩が設けた蔵屋敷に年貢米が送られます。米の売却は蔵屋敷での競争入札で行います。落札した業者は代金の一分を支払い、蔵屋敷発行の米切手(米手形)を受け取り、一定期日以内に米切手と残銀を持参して蔵屋敷から米を受け取る仕組みとなっていました。この取引が時代とともに少しずつ変わり、米切手が転売されていくようになり、米切手そのものが米現物の需給に関係なく売買の対象となっていったのです。

 大坂の北浜に、淀屋の米市と呼ばれる米市場があったのですが、のちに淀屋市が堂島に移りました。堂島米市場で売買されていたのは落札された米切手です。米の売買に際し現物の代わりに1枚10石単位の米切手という倉荷証券が授受されたのです。米切手は米の保管証明書から一定量の米に対する請求権を表した商品切手に変わり、有価証券化して行きました。つまり堂島米市場は有価証券取引が行われた証券市場であったのです。

 堂島米市場では着地取引として米の廻着を待たずに米切手が先売りされるようになりました。米切手の保有している商人は米の価格変動リスクにさらされることとなり、この米価の価格変動リスクのヘッジを目的として「売買つなぎ商い」という先物取引が考案されたのです。この「つなぎ商い」が1730年に徳川幕府により公認され、堂島米会所が成立したのです。

 堂島米会所では、米切手を売買するいわゆる現物取引の「正米商い」に加えて、米の先物取引である「帳合米商い」が行われました。帳合米商いとは1年を春夏冬の三期にわけてそれぞれ4月28日、10月9日、12月24日を精算日とし、各期に筑前・広島・中国・加賀米などのうちから1つを建物(標準米)として売買し、反対売買による差金決済を原則とする取引です。 正米商いと帳合米商いともに消合場と呼ばれた株仲間組織によるしっかりとした清算機関(クリアリングハウス)が存在していました。不正を行った株仲間を取引停止にするといった処置も講じられ、市場秩序が維持されていたのです。こうして帳合米商いは、現在の先物取引と同様にヘッジ目的だけでなく投機目的でも積極的に商人が参加し、世界に先駆けた先物市場が発展していったのです。




2011.11.1「任期満了となったトリシェECB総裁」

 1998年6月1日、欧州共同体設立条約(マーストリヒト条約)及び欧州中央銀行制度(ESCB、後述)および欧州中央銀行(ECB)に関する定款に基づき、欧州中央銀行(ECB)と欧州中央銀行制度(ESDB)が設立された。本部(本店)はフランクフルトに置かれた。

ESDBはECBと、統一通貨ユーロの導入の有無に関わらず欧州連合(EU)に加盟している27か国の中央銀行で構成されている。この中で、ECBとユーロを通貨として採用している加盟国17か国の中央銀行によってユーロシステムが構成されている。

 米国は連邦制度となっていたことから連邦準備制度という形式での中央銀行を作ったが、ユーロ圏の経済統合の結果、ユーロシステムを構成しているそれぞれの国の中央銀行は、その役割を欧州中央銀行というひとつの銀行に委ねた。そして1999年1月に欧州の通貨統合により単一通貨であるユーロが導入され、ユーロ圏の金融政策は、ECBが行うこととなったのである。

 そのECBの初代総裁となったのが、オランダ銀行総裁やオランダ大蔵大臣を歴任したウィム・ドイセンベルク氏であった。本来であれば総裁の任期は8年であったが、総裁選出や本部所在地との兼ね合い等々があり、ドイセンベルク氏の任期半ばでの退任と、その後継にはフランス銀行総裁のトリシェ氏を任命することが、公然の密約として取り交わされていた。つまり、ドイツとフランスの対立などが反映され政治色が非常に強いものとなっていたのである。

 この密約通りに、ドイセンベルク氏が任期半ばで退任し、2003年11月にジャン・クロード・トリシェ氏が第2代総裁に就任した。元々、ECBはブンデスバンクがモデルとなっているが、トリシェ氏も真のインフレファイターとも言える人物であった。

 トリシェ総裁の任期の半ばあたりまでは、それほど大きな出来事はなかったものの、2007年のパリバ・ショックにより、ECBなど各国中銀は大量に資金供給を実施。2007年12月にはFRBがECB、スイス国民銀行(SNB)とスワップ取極を結んで欧州でのドル資金供給を始めた。

 しかし、事態は改善せず2008年9月には今度はリーマン・ショックが発生し、欧州各国も預金の全額保護や金融機関の国有化・資本注入、短期債務保証など、様々な施策を迅速に打ち出し、国際協調も行われECBなど各国中銀が一斉に利下げを行った。

 そして、今度は2010年1月にギリシャの財政状況の悪化が表面化したことで、ギリシャ・ショックが発生し、問題が金融機関から国の債務問題に向かい、5月にはECBは欧州危機対応のための国債買入を決定したのである。これは政治からの独立性を意識していたトリシェ総裁にとりかなり苦渋の決断であったとみられる。

 ECBのトリシェ総裁の後任には当初、ドイツ出身者が就任するであろうことが暗黙の了解のようになっており、ドイツ連邦銀行のウェーバー前総裁が最有力視されていた。しかし、そのウェーバー前総裁が、「個人的な理由」で2011年4月末にドイツ連邦銀行総裁を辞任した。 ウェーバー前総裁は、ECB理事会において、インフレを加速し中央銀行の政治的独立性を損なうとして加盟国の国債買い入れに強硬に反対しており、それがドイツ連銀総裁の辞任、つまりは次期ECB総裁候補から降りた要因となったとみられている。

 さらに9月にはユルゲン・シュタルク専任理事がやはり「個人的な事情」を理由に辞意を表明した。この理由もイタリアなどの国債買い入れをECBが行ったことが要因とされる。トリシェ総裁にとり、親しい友人であったとされるシュタルク専務理事の辞意表明はかなりショッキングな出来事であったとみられる。

 トリシェ総裁はインフレファイターを封印して欧州の債務危機に対して果断に挑んでいった。このためにドイツ出身者との軋轢を生んだとも言える。しかし、欧州の債務問題は解決したわけではないものの、メルケル首相の働きなどとともに、結果とすればトリシェECB総裁の働きもかなり賞賛されるべきものであったと言えるのではなかろうか。だからこそ、その慰労パーティーで臨時会合が開催できるだけの人物が集まったとも言えよう。そして、10月31日でECB総裁は任期満了となった。

 ECBのトリシェ総裁の後任には、債務問題が押し寄せつつあるイタリア出身のマリオ・ドラギ氏が11月1日に第3代欧州中央銀行総裁に就任する。前任者の功績が大きかったこともあるが、今度は出身国の火の粉を消す必要もあるなど、新総裁も大きな問題を抱えている。ドイツやフランスという大国の板挟みとなる中での、ドラギ新総裁がどの程度の手腕を発揮できるか、今後の情勢を見極めていきたいと思う。




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