<第一部 ゼロ金利政策決定前夜>
2000年8月11日、日本銀行の最高意志決定機関である金融政策決定会合が開かれた。速水日銀総裁は不退転の決意でゼロ金利解除を押し進めた。総裁がゼロ金利解除を議長提案。もし議長提案が否決されるようなことがあれば総裁は辞任も覚悟しなければならない。その議長提案に対して政府は始めて議決延期請求権を行使した。しかし、それを8対1で否決。その後、改めて議長提案の賛否を計り、結果7対2でゼロ金利がついに解除されたのである。
このゼロ金利解除に関しては金融市場関係者の間でも意見は真っ二つに割れた。というより感じとしては時期尚早との見方が強かったようである。しかし、速水日銀総裁は強引とも取れるかたちで解除をすすめた。総裁の意向は一票以上の重みがあると言われるが、総裁ひとりのちからでは金融政策の変更はむずかしい。藤原副総裁はもちろんだが日銀の執行部を代表する山口日銀副総裁の同意は絶対に必要となる。実はゼロ金利解除について政策委員の中でもっとも望んでいたのは山口副総裁だったのではといった観測もあったのである。
ゼロ金利解除は単に総裁の独り相撲ではなく、日銀全体の意向でもあったように思われる。もちろん内部でも時期尚早といった見方もあった。しかし、タイミングを逸すればのちのち金融政策変更時に市場に大きな影響を与える懸念もある。日銀のエコノミストもゼロ金利解除について理論的な理由付は可能であったと思うが、民間エコノミストは景気に対してあまりに悲観的な見通しをたてていたむきも多く、これが市場との対話を不可能にした理由のひとつでもあった。
景気の底入れが見えた時点で異常な事態からの脱却を目指すのはある意味当然のことである。そして、その異常事態ともいえるゼロ金利政策が実は金利とかけ離れたところからもたらされた事実を覚えていらっしゃる方も少ない。
これから、あらためて何故ゼロ金利政策打ち出されたのか。まずその背景から探っていきたい。
ゼロ金利政策が取られたのは1999年2月12日の日銀による金融政策決定会合においてであった。その時の日銀発表の資料を見てみよう。
「わが国の経済をみると、景気の悪化テンポは、公共投資の拡大に支えられて、緩やかになってきている。今後、緊急経済対策が本格的に実施されるにつれて、景気の悪化には次第に歯止めがかかるものと見込まれる。しかし、企業や消費者の心理は依然慎重なものにとどまっており、民間経済活動は停滞を続けている。物価も軟調に推移している。景気回復への展望は依然明確でない状況にある。 金融面の動向をみると、短期金融市場取引や企業金融を巡る一頃の逼迫感は和らいできている。しかし、長期金利が大幅に上昇し、為替相場も円高気味の展開が続いている。株価も総じて軟調に推移している。こうした市場の動きは、わが国経済の先行きに対してマイナスの影響をもたらす惧れがある。」
以上のように、このときの金融緩和策はデフレ懸念に主眼がおかれていたわけではない。長期金利と為替対策であったことをはっきりとうたっているのである。少し遡って宮沢蔵相は2月2日に「(長期金利上昇で)市場の自立性を尊重すべき、市場に任せておけばよい」といった発言をされていた。それが3日あたりから急に長期金利の上昇を懸念する声が各所で上がりだした。なんと野中官房長官(当時)といった政治家からの発言も相次いだのである。私の記憶する限り蔵相などを除いて政治家が長期金利の動きに言及したというのは記憶にない。この長期金利に対する政治家の発言は何か原因となっているものがあったはずである。
それは「国債相場の急落」がひとつの大きな原因となっていた。1998年11月20日から債券相場は大幅に下落した。これは大蔵省(トップはもちろん宮沢蔵相)からのコメントがきっかけになっている。11月20日付け日経新聞によると「大蔵省は1998年度の第3次補正予算で新規発行する国債12兆5千億円のうち10兆円以上を市中消化する方針」との記事が出たのである。
これまで大蔵省の資金運用部は、なんと国債発行額全体の約半分程度を引き受けていた。そして、その引受比率が突然に大きく低下することになったのである。この要因としては1月5日の日経の記事などで明らかにされている。「政府系金融機関や財政難に悩む自治体向け貸し出しを増やす結果、余資の運用額は大幅に縮小」そして、原資の調達期間が今後短くなると見ているため、余資運用の対象もすべて期間1年以下の短期国債とするとしたのである。加えて運用部の国債買い切りも停止されることとなった。いわゆる「運用部ショックである」
実は1999年3月までの資金運用部の買い切りは予算化されていた。しかし、今後どれだけ資金が必要になるか予測もむずかしく、このため「宮沢蔵相」も運用部引受の減少とともに買い切りの打ち切りを了承したものと考えられる。ことに地方財政の悪化はご存じのとおりかなりひどいものになっていることを念頭においてほしい。
この運用部の買い切りはなぜか急に再開された。予算化され出せなくもない資金であったことから買い切りが再開されても資金的には何ら不思議ではなかった。しかし、、問題は一度やめたことを何故再開してしまったのか。また、「突然とも言える」日銀のゼロ金利政策が実施されたのは何故か。それは2月3日にポイントがありそうである。
この日を境にして大きな地殻変動が日本の金融界に起こっている。その震源地は「影のサミット」などと呼ばれる「ダボス会議」であったと思われる。世界経済フォーラム(WEF)の年次総会であるダボス会議は政官財のエグゼクティブが集う会合である。今回、日本からは自民党の加藤紘一氏や大蔵省の榊原財務官が出席していた。また、米国側からはルービン財務長官とサマーズ財務副長官が出席していたようである。予定出席者名簿にはジョージ・ソロス氏などの名前などもあった。
この会合で、ルービン財務長官やサマーズ財務副長官から加藤氏や榊原財務官に対して「日米実質長期金利の接近」に関しての懸念が表明されたのではないかと考えられている(これに関しては一部マスコミが報道)。その後正式にルービン財務長官から日本に対して金融緩和を求める発言が出た。またそのなかで日銀による国債引受が長期金利の抑制策として有効な手段であることも示したのである。
これをきっかけにして、日本の長期金利(要は日本の10年国債の価格動向)に対して急速に世間からの注目が集まってきたこれはこれまでにないことであった。日銀による国債引受についても各所から意見が出された。当初、日銀による国債引受は需給悪化を緩和されることで長期金利抑制策とみなしていた感があったが、現場にいる我々などそれはむしろ売り材料との認識を持っていた。それは日銀にとっても受け入れがたいものでもあった。
2月12日、日銀は金融政策決定会合において一段の金融緩和策を進めることを決定した。無担保コール翌日物の誘導目標値を0.25%から0.15%に低め誘導し、またレポオペの拡充などにより量的緩和を押し進める方針を打ち出した。いわゆる「ゼロ金利政策」である。
そして速水日銀総裁は、これらの金融緩和策は「長期金利の低下を促す処置であること」を強調したのである。ただ、国債買いオペの増額は見送られた。長期金利は市場金利であり、その操作はむずかしいとあれだけ提言しておきながら、あえて長期金利の低下を促すためにという目的でなぜに今回の金融緩和策がとられたのか。
これまで、蔵相や日銀総裁などは需給悪化による長期金利の上昇について、「心配していない」とか「2%割れが異常」といったコメントが目立っていたはずである。ある程度の長期金利上昇は容認していたと思われた。ところが、ルービン発言が伝わると状況は一変したのである。では、そのルービン財務長官の「日銀による国債引受」に関するコメントの真意はいかなるものであったろうか。
2月10日付けの「若き知」においても指摘したが、ルービン財務長官は米国の財政を支えている日本からの米国債投資が減少するということに危惧を抱きだしたと思われるのである。また、それにともなうドル売りについても危惧していたのではなかろうか。つまりこれ以上、日本の長期金利が上昇してしまうと米国の実質長期金利と逆転してしまい、米国の財政を支えている大きな柱とも言える日本からの米国債投資が減少してしまう懸念があるのである。加えてバランスシートが傷ついていた銀行などがリスクを軽減するためという理由からも米国債の売却に動いていたのである。
ダボスに出席した、加藤氏や榊原氏がサマーズ財務副長官などとの会見時にどういったことが話し合われたかは想像する限りではあるが、米国側が日米長期金利差の縮小に懸念を表明し、それに対する何らかの手段を求められ、その答えとして「日銀による国債引き受け」というものを提示した可能性はある。ただ、これはあくまで私個人の憶測の範疇である。 とにかく、ダボス会議におけるこのルービン発言を伝え聞いて日本の政府当局者も急に長期金利の上昇に対して懸念を表明しはじめたのである。
マネーサプライ増加のための日銀による国債引受を強く主張した米経済学者に賛同したため(このグルーグマンに影響されたと思われる方々がその際に絡んでいた)という意見も一部にあったが、そんなことより、国債の需給悪化を簡単に解決出来る方法として、日銀による国債引受という手段を米国側に提示したとしてもおかしくはない。
以上の状況から踏まえ、米国が日米長期金利差の縮小による日本による米国債投資の減少やそれに伴うドル安を危惧し始めたことにより、「日本の長期金利」をなんとしても低下させる必要性が高まってきたのである。
長期金利の上昇がなぜ生じたのか、改めて述べるまでもないが、その要因は過去最大規模の国債の発行と資金運用部の国債引き受け比率が急低下したことによる市中消化額の急増であった。1月から10年債で月額1兆8千億円といった国債の大量発行がスタートしたが、その消化が順調であったとは残念ながら言い難い。実際に相場は下落基調となってしまった。今回の日本の債券相場の下落、つまり長期金利の上昇の主因は「需給悪化」である。ただ、これまで債券相場は「需給悪化」でトレンドが変化したケースは皆無であった。ファンダメンタルズの好転がなければこのまま長期金利が上昇し続けるということはあまり考えられなかったのである。また、1%以下まで低下した長期金利が行き過ぎという見方、つまり債券バブルが生じていたとの見方があったことも事実であろう。
こういったことからある程度の長期金利の上昇は容認されていたとも思われる。しかし、状況は変わった。物価上昇を伴わない金利の上昇はつまり実質金利を大きく上昇させていたのである。そして、これに米国金融当局が懸念を示しだした。このため、まず、日銀引受という荒技を示して置いて、具体的な対処の方法を政治家や大蔵省や日銀などが必死になって模索した。日銀による買い切りオペの増額や、前述の「ツイストオペ」。しかし、これらは広義の日銀引受に変わりはない。また、蔵相は中期ゾーンの国債を増やして長期を減らすといった考えも示した。あの手この手で攻めてくる感じである。
この長期金利の上昇に対しての対策はどうしたらよいのであろうか。「一番良いのは国債を発行しない事。そして、資金運用部の引受再開。これは現状無理。次に、日銀による国債引受だが、かなりのリスクがあるため、やはり実現性に乏しい。ツイストオペはどうであろうか。これは、買いオペ増額も含めて、広義の国債引き受けともとらえられ、やはりインフレリスクが伴う。では、間接的な方法として公定歩合の引き下げなど金融政策変更という手段はどうであろう。」これが、今回、日銀がさらなる金融緩和策をとった主因であると考えられる。
限られた長期金利上昇抑制策のうちの効果的な一手段と認識されたのである。景気下ぶれ懸念とかが急に出てきたわけではないのに、こういうタイミングでの緩和策は、やはり米国金融当局の日本の長期金利上昇を懸念した動きが要因と見ざるをえない。長期金利を上げ下げするのは無理という認識にも関わらず、一段の緩和策を打ち出しての長期金利対策。それだけ手段が限られていることを内外に示したといえなくもない。
まとめとして、当時の私のコメントをご覧いただきたい。
「我々、市場参加者は今後の米国政府や日本の政治家や金融当局の動向に注意を払い、加えて外人投資家の動向などを見ながら、国債相場の動向を探っていかなければならない。これまでにないような異常な事態を日本の債券相場は迎えつつある。日本の国債価格を上昇させるために日銀は金融政策の変更すら実施してきたのである。これまで以上に波乱の展開が予想される債券相場である。 そういった認識が広まったことから日銀による国債引受を訴えるトーンは低くなり、結果日銀引受と同じとみなされる日銀による買いオペ増額もなくなった。そのかわり日銀には金融緩和という手段を求められたと思われる。それは長期金利上昇や円高抑制策としてのものではあるが、もちろん効果のほどはともかく景気対策となることも確かである。3月末決算を意識して円高を修正させ、株価・債券価格を上昇させる要因となる。実際為替はヘッジファンドの仕掛け的な動きから円安が急速に進んだ。また、債券に関しては日銀による金融緩和策に続いて前述の資金運用部の買い切り再開。そして、3月の10年国債の減額を発表したことで、これもヘッジファンドなどが債券先物の買い戻しを急ぎ、債券先物は133円台まで上昇したのである。もちろん日銀による金融緩和により資金が短期から中長期にシフトしていることも相場上昇の要因ともなったのである。」
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